僕が会社を辞めたわけ(4)

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僕が会社を辞めたわけ(3)

会社の問題あり、現場の問題あり、様々な要因で人は会社を離れるものです。そんなわけで新しい会社にやってきました。

ここは、ソフト開発系のエンジニアが多く、ネットワークに関してはノウハウも仕事も少ない様子でした。ネットワーク関係が弱いから、そこを強化していきたいという話は理解できるように思いました。

ただ一番問題に感じたのは、営業たちがネットワークの業務というものを理解していなかったこと。よく彼らはインフラエンジニアという言葉を使いましたが、これは何かというとネットワークとサーバ系を一緒にした、いや混同した言葉なのでした。つまり、ネットワークの仕事もサーバ構築の仕事も、彼らのフィルタを通すとインフラと言う言葉に変換され、両者の区分はなくなります。

最初の仕事は、サーバ運用がメインだけどネットワークの仕事もあるという現場でした。既存の現場への増員ということであまり心配はありませんでした。いざ、現地で説明を聞いてみると、なるほどメインは業務基幹サーバの運用保守でネットワークの仕事はほぼ無いようでした。実際にネットワークらしき仕事としてはUnixサーバへのフィルタ設定の追加ぐらいで、iptablesファイルの編集なんてサーバエンジニアで対応できることだし、ネットワークエンジニアが出るまでもない、いや今までそんなファイル触ったことないわ!ということは100%サーバの仕事だな。やれやれ。

そんな現場も人員削減のため1年で終了になり、次はようやくネットワークの設計に。と思ったら一緒に請け負った仕事がネットワークの運用保守だったために、気が付けば自分も設計から外され、他の部下たち(自社の協力会社)と一緒に運用保守をする羽目に。自分は通信キャリアの経験があるのに、ビギナーがするようなネットワーク監視をさせられ、時には入るはずだった設計チームから素人相手のような雑な扱いをされ、その他いろいろありましたけど妙なストレスの溜まる現場でした。

そんな現場も元請けの大チョンボのあおりを受けて3ヶ月で終了(後から人が足りないから延長してくれないかと言われましたが、丁重にお断りしました)。次は何だ?サーバの仕事?これが悲劇の始まりだったとは。相手先の面談で話を聞いているとどうもサーバの話しか出ない。にもかかわらず担当営業(こいつがとんでもないクズだと分かるのはかなり後でした)が大丈夫ですと安請け合いしてあっさり決まりました。

お仕事はサーバの設計でした。今度はWindowsサーバです。名前は聞いたことあるなという程度のシロートに任された仕事は、サーバの設計、具体的にはOSのバージョンアップに伴う機能の検証と設定の見直し及び実装でした。それを聞かされた瞬間???となったのは言うまでもありません。しかもWBSを更新して進捗を報告せよと言われるも、何をすればいいのか分からない状態で全くお手上げでした。常駐先の担当者(リーダー)は忙しそうでとても質問できるような空気ではなかったし、そもそも何を聞けばいいのか分からない!ルータのコマンドが読めないやつにいきなりBGPの環境を構築しろと言ったらきっとこんな感覚になるんだろうな。

最初の1週間は地獄でした。いや、その後も地獄でしたけど。混沌の1週間をなんとかやり過ごしましたが、週末にはたまらず営業に連絡しました。「この仕事は無理です!」それに対する返答は、「そうか、まあがんばってね」というなんともふざけたものでした。やつの人間性を知っていれば納得したかもしれませんけど。その後も何をしていいか分からず途方に暮れる毎日。社食などがなく、お昼に連れて行かれる高い食堂での食事が財布に響きましたが、それよりも毎日の業務がとにかく苦痛でした。何をどうしたかもはや記憶がありませんけど、案の定倒れました。無駄に我慢強いことは時にデメリットになる、そう悟りました。

仕事は当然休職になったわけですが、ここの営業は無神経なのか成績に追われているのか次の案件探しに引きずり回されました。いつ復帰できるか分からないのに、そういう対応が症状を悪化させるかもしれないのに、こいつらダメだなと遠ざかる意識の中で何となく思ってましたが、なんとか次の現場が決まりました。今度はやっとネットワークの設計です。通勤は大変だけどようやく自分に適した仕事が回ってきた。と初めは喜んでおりました。

仕事の内容はよかったんですが、現場の人たち(元請けでもある)に少々、いや結構クセがあり、それに悩まされた印象もあります。ここも案件を複数抱えてそれを回している現場なのですが、それを担当しているのはプロパーで、我々のような下請けはそれをサポートする役どころとなります。そのため、こちらは仕事の分量や状況が読めず、来た仕事をこなすだけとなります。これは結構きついです。今まで工程管理はあまりしてなかったとは言え、チームの作業は決まっておりだいたい今はこんなフェーズです、残りこんな作業がありますというのは見えていたのですが、今回はそれがない。複数の案件があり、それを把握しているのは担当のプロパーだけなので。しかも、成績(売り上げ)みたいな指標があり、それに向かって躍起になっているからろくに説明もしてくれません。しかも、必要な情報を握り込んでいて、聞けば教えてくれるが案件の全体像が分からないので聞きようがない。しかも成果物のレビューでそれを突っ込んできて答えられないとなぜ分からないんだと怒る。理不尽もいいところです。それでも、ネットワークの仕事だからと我慢して続けていたのですが。

そんな状況の中でもどうにかやってましたが、理不尽な案件リーダー(とりあえずそう呼んでおきます)のせいでついに限界が来てしまいました。その仕事は他部署から回ってきたのですが(経緯は当然ながら分かりません)、システムの更改作業の手順書を作ってくださいというものでした。依頼元でヒアリングをして資料を受け取り、作業にかかったのですが。ここで理不尽リーダーが理不尽を発動します。手順書に体制表がない。機器にアクセスするIPアドレスがない。よって、この手順書は不備があるからダメだ。とおっしゃるのです。確かに普段の継続案件ではこちらがシステムの内容を完全に把握して(客先からほぼ全権委任されてますので)、そのようなデータは揃っていますが、今回は他部署からの依頼で手順書というか手順の概要を作ってくださいという依頼です。細かいデータの掲載などは依頼されていないし、いただいたフォーマットにもそのような記載はありません。にもかかわらず理不尽リーダーは、データが足りない、これではダメだと強弁するのです。話し合ってもご意見は変わらないようでした。そんなこんなである日の長時間に及ぶレビューという名の拷問の後、ついにキレました。もう無理だわ。ということで2度目のお休みになったのでした。

さすがにこれではいけない。年に1回のペースでリブートしていては仕事にならない。しかも、ここのポンコツ営業はネットワークとサーバの区別も付かないやつらばかり。ネットワークを強化すると言いながら彼らは勉強しているのか。ただ社長に叱責され目の前の数字しか見ていないような営業は信用ならない。そう結論付けました。できれば、自分がネットワークとサーバの違いを懇々と指導してあげたかったのですが、遠くの現場にいる以上それも叶いません。例によってお休み中ながらまたしても担当営業が次の案件探しましょうみたいなメールを寄越してきたので、キッパリともうこんな会社ではお仕事できません、ごめんなさいと正直に告げました。

そうだ、ここの会社を紹介してくれた今はマネージャとなった彼とのお話し合いがありました。あなたは何を言っているんだ、なんで辞めるなんて言うんだ!?と迫る彼にハッキリと言いました。ここの営業は未だにネットワークもサーバも区別が付いてないじゃないか。またインフラの仕事ですとか言って訳の分からない(語弊がないように補足すると自分は門外漢であるという意味です)サーバ仕事をやらされてはたまったものではない。それに1年に1回倒れるなんて,どんな仕事の取り方をしてるんだ?と、駅前の居酒屋で押し問答を繰り広げておりました。酔っ払いのケンカよりはややマシな程度ですかね。それでも、ネットワークを強化したいという要望のために会社のサーバに役に立ちそうな遺産を残していったので、そんなに文句を言われる筋合いはないのではと思います。本当は若いエンジニアたちにネットワークを教えて、勢力を拡大したいと思っていたんですよ。アホな営業が明後日の方向を向いた案件を持ってこなければ、実現したはずなんですけど。

自分に仕事を辞めても生きていけるほどの蓄財があればいいんですけどね。それもないのに辞めて大丈夫だったのか?実は、昔の仲間とのつながりというのが多少なりともありまして、その集まり(飲み会)の場で悲惨な現状を話していたところ、昔いた会社の営業と連絡が取れるから聞いてみたら、と言われていたのでした。そんなわけで飢え死にすることもなく、失業保険をもらうこともなく、何とか生きているわけですが。

誰も自社から入ってくるわけでもなく(ネットワークに対する関心の低さでしょうか)、仕方ないので他社の若手に熱血指導をしておりました。教育自体は好きなんです。理不尽な扱いに怒る理由もそれと多少は関係があるかもしれませんね。通り一遍の説明だけで、ローカルルールだらけの現場の仕事をそつなくこなす新人なんているわけないだろう。しかし、悲しいかなそんな甘えた考えを持つ業界人は案外多いのです。

現場レベルでの入退場の話はもっと細かくなりますけど、書くのも大変だし(どこかで書いた気もする)、複雑だし身バレも心配なので(別に構いませんけど)、気が向いたらどこかで書きます。

僕が会社を辞めたわけ(3)

ようやく、IT業界というものに慣れてきて(一番立場の弱いネットワーク方面ですけど)、前の会社を業界特有の様々なストレスとあの頭のヘンな課長のせいでズタボロになって退職したあたりから、このお話は始まります。

会社を辞めてどうしようか、少し休んでから考えようと思っていたある日のこと、昔の職場(YRP方面)の人から電話がかかってきました。「今何してるの?」と聞かれ、正直に色々あって前の会社を辞めたことを話しました。すると、「暇なんだ?じゃあ、うちに来いよ」と言っていただきました。正直どうしようか迷ったのですが、先方が自分の仕事を評価してくれている、また仕事をして欲しいと言ってくれていることが嬉しくて、復帰することにしました。

今回はその人の所属会社に入る形で、元の職場に入ることとなりました。通常であれば、以前経験したように面倒な面接などがあるのですが、経験者ということで上位会社との形式的な面接を経て、晴れて慣れ親しんだ現場に帰ってくることができました。仕事は、以前していたものとは別のラインでしたが、知っている人も多くあまり抵抗なく入れました。

ただ、ちょっと引っかかったのが、「キミ本当に帰ってきてよかったのかい?」と上位会社の部長(現場にいないくらいエラい人)に言われたことです。なんでそんなことを言うんだろうか?前の会社では、自分の意思を無視して勝手に引き抜かれたんですけどね。と言うと、部長が(?_?)みたいな感じになったので、よくよく話を聞いてみると。。。例の課長(あの言葉は控えましょうか)が、僕くんが辞めたがっているから終了にしたいと言ってきたんだよ。だから帰ってくると聞いて、いやいや戻ってくるんじゃないかって心配していたんだよ。という内容のことを言われて愕然としました。あいつ、やっぱりゴミだったな。あ、言っちゃった(^_^;)

業務内容は今まで通り、ただなかなか検証環境がうまくできず(作業者の未熟なせいだと思われます)、終電近くまで作業したり徹夜することもありました。ですが、ここの会社は(深夜休日とかは関係なく)時間制でのみ給料を計算するシステムでしたので、働いた分は給料がもらえました。その点はよかったんでしょうか。

人間関係は概ね良好でしたが、ただ一部の若い連中が「オレの方が先輩だ(入社年だけの話ですよ)」と理解不能な先輩風を吹かせて、不愉快な言動を取ったことは忘れないと思います。そんなに技術もあるわけでもないのに、何を根拠に偉そうにしていたのか。そんな彼らも会社の給料が安いことを理由に去って行きました。

そんな自分に転機が訪れたのは、4年後のこと。折しもリーマンショックが世間を騒がせてから数年がたった時でした。今さらリーマンのせいにするなんて、なんて稚拙な経営なんだろうと思っていましたが、人事制度の見直しと称して、いろいろ給与面の改悪が発表されました。中でも一番は見なし残業(出た!)を25時間とし能力給に含めるというもの。じゃあ、その分能力給は増額するのか?しませんでした(*_*)それって実質の賃下げじゃないか!それに怒って大事な中間層が次々に辞めていきました。

自分もそれに不満でしたし、その時転職を検討し始めました。それに加えて、1年間で現場を5回ぐらいは変えられたこと、しかも進行中の案件から外されて別の案件に回されたこと、最後に所属したチームには同じ所属会社のメンバーがいましたが、彼から想定外の嫌がらせ(パワハラ)を受けたことが決定打になりました。それによって一層を検討するようになったわけですが、その年末に納会がありました。そこで自分を散々振り回した元請けの課長と会う機会があったのです。ここで、あっちこっち振り回して悪かったね、これに懲りずにこれからも頼むよ、ぐらいのお言葉はいただけるものと思っていました。むしろ、自分の出世のために他人を振り回しておいて、その程度のあいさつもできない人間なら即座に袂を分かつべきだとも思っていました。ところが、かけていただいた言葉は自分の想像の遥か斜め上を行くものでした。「こいつ、すぐ言い訳するんだよ」。何を言っているのか、即座に理解できませんでしたが、たぶんこの人の無茶ぶりを回避するために言った言葉をそういう風に解釈してるんだろうな、そう理解するように努めました。なお、謝罪はおろか労いの言葉も皆無でした。この瞬間、自分の腹は決まりました。

年が明けて、担当営業を呼びつけました。「会社を辞めることにしました」と伝えると、営業の反応は意外とあっさりしたものでした。ある程度は覚悟ができていたのかもしれません。ちょっと現場の方は想定外だったようで、少し慌てた様子でしたが。それよりもあのパワハラ野郎が最終日までしつこく絡んできたのには閉口しました。自分の楽しみを奪われるのがそんなにイヤだったのか。遊んでいたオモチャを取り上げられる子供のような抵抗ぶりには呆れるほかありませんでした。

さて、これからどうするか。会社を辞めるのは簡単だけど、次の仕事がないと生活が厳しくなります。これまた、幸いと言いますか、職場で半年ばかり一緒に仕事をしていた人が別の会社に入っており、その人から今ネットワークのエンジニアが足りないから来てくれないかというお話をかなり前からもらっていました。そんなわけで、彼の会社にお世話になることになったのですが。。。

僕が会社を辞めたわけ(2)

多少ゴタゴタしましたが、前のブラック会社を退職することができ、YRP業務の上位会社(現場では協力会社ですが)に転職することができました。もう自分を邪魔するものはいない。これで安心して業務に集中できる。と一安心していました。

ところが、平和というものは長く続くものではないのです(ガーーーン)。YRPに勤めて3年ぐらい経った頃でしょうか。この会社のメイン業務の都合で、そちらに飛ばされることになりました。しかも、本来なら会社が別業務で人が足りなくなったので、そちらの僕くんを引き揚げてよいだろうか、とでも言うのがスジだと思うのですが、あろうことか会社が僕くんが今の業務をつらいと言っている、辞めたいと言っている、だから辞めさせます、などと大ウソをついたらしいのです。なぜ分かったかというと、その後の展開(第3回で詳説)で、あの会社の課長さんがそう言ってたよと聞かされたからです。

さて、新しい現場(主業務と言いましょうか)の方はと言うと、あまり細かく書きませんけど、いろいろとエンドユーザと折衝して成果物を提出する、ちゃんとした請負契約の現場でした。SESからの脱皮はいいことだと思いましたけど、リーダーの課長が意識高い系というのかやる気が無駄にあるというのか、とにかく業務量が尋常ではありませんでした。どのくらいかというと相当がんばっても定時には終わらない、日付をまたぐのはデフォルト、明け方近くまで作業することもありました。では、深夜残業含めて相当な厚遇では?いや、深夜勤務になると翌日明け休になるからとか言うヘンな理由で、深夜残業は禁止でした。と言ってもよく聞くブラック企業の残業はありません理論みたいなもので、残業を付けさせないというのが正しい表現でしょう。やはり労基署に密告した方が業界のため(そして後輩たちのため)だったかなと後悔の念に駆られることもあります。

それだけでも問題でしたが、もう1つ自分にとって合わなかったのは多分に営業要素が含まれていたことです。まあ、SESから抜け出すためには交渉力も必要なんだな、営業(つまり御用聞き)スキルも必要なんだということを学びました。その面ではプラスだったのかもしれないと思います。

当然のごとく、テンションはだだ下がりでしたが、給料だけはよかったように思います。それがなければ即ドロップアウトだったでしょう。それでも、自分の営業力、交渉力のなさが露呈し、特にややこしい顧客が相手だとその傾向が顕著に出てしまいました。それ以外の原因もあるでしょうが、とうとう倒れてしまいました。ある朝、起き上がろうとしたら起き上がれないんですね。ああ、これがITの仕事で病むってことかあ。もちろん、会社(正確にはあの課長)とゴタゴタして病院に行って適応障害という診断をいただきました。1ヶ月の休業加療を要すと書かれてましたが、復帰したところで同じ憂き目に遭うことは明らかです。

それでも多少は考慮されたのか(被害を防ぐためと言う理由が大きいでしょうが)、復帰後は多少穏やかな案件に回されました。そちらではなんとかうまくやっていたのですが、問題が起きた案件の方でどうしても人が足りないという理由で、そちらに戻されることになってしまいました。もっともこういう業態では、1人で複数案件を担当することが多いため、1つの案件を外れても別の案件は走っているので、仕事がなくなるわけではないです。他の案件は比較的うまく進んでいたのですが、やはり問題の案件はストレスが過大にかかりました。年下の部下たち(経験年数は彼らが長いのですが)があまり言うことを聞いてくれない、俺たちの方がよく知っているという錯覚から勝手な行動を取るという問題も精神的なストレスを助長していたように思います。

2回目に倒れた時、また診断書を添えてお休みを願い出ようとしましたが、こんなことを繰り返すぐらいならここにいても仕方ないと考えました。余談ですが、一度倒れたあと職場のメンバーたちの態度が急に変わったことも気になりました。悪い方向にですよ。それまでは経験ある先輩という見方だったのが、役に立たねえオッサンという評価に変わっていました。おそらくあのゴミ課長が彼らを誘導したであろうことは想像に難くありません。良くも悪くもカリスマのある人物でしたので、若い人間が彼の思想になびくのは仕方ないことでしょう。

そのゴミ、いや課長からも言われたことがあります。自分が担当した案件の客先担当者からクレームを言われた。1人、2人なら相性もあるが、みんなから言われるのはお前の人間性に問題があるからだと。その言葉、そのままお返ししてあげたかった。自分の私利私欲のために労働法を無視して、無知な若者をこき使い、平然と批判だけを行う。精神を病んでいなければ目にもの見せてやったのに。ついでに言うなら、おそらく(これは自分の空想ですが)客先にバカみたいに高い料金をふっかけるもんだから、先方もそれを取り返そうといろいろ無茶な要求をしてきました。それが影響してるんじゃないのかね?なんだ、やっぱりゴミのせいじゃん。

この無駄にクソ暑いイリーガル上司と付き合っても幸せにはなれない、そういう気持ちでしたし、会社の方もこんな役立たずいらねえという態度でしたので、双方の利害が一致したところで辞めることにしました。病気療養中のため、退職の手続きはあまりやってなかったような気がしますが、お決まりの退職願だけは出したかもしれません。これでも自己都合なのか。そうなると失業保険の支給は3ヶ月待機となりますが、この時点で失業保険をもらわない人にクラスチェンジできましたので、失業保険の手続きは一切してません。

この時は、もうこんな業界なんていても仕方ないから元の業界に戻ろうか、とぼんやり考えていましたが、なぜか昔の職場の人から連絡があり、その人の会社に入って現場復帰(?)することになりました。前の職場で、気心の知れた仲間もおり、これで安泰だと思っていたのですが。(その3に続く)

僕が会社を辞めたわけ(1)

ある時職場の後輩に言われました。「先輩は、なんで前の会社を辞めたんですか?」前の会社ってどれ?いくつかあるんだけど。IT業界に入る前も転職したことはあるけど、それは単に給料が安かったからだしなぁ。細かいことを書くと面倒なので書かないけど、大まかに言えばそうなります。

でもたぶん聞きたいのはIT業界の会社を渡り歩いた(?)理由でしょうから、それをここで書いていきたいと思います。役に立つのかどうか分かりませんけど、何かの参考になればと思い、自分の失敗談を語っていくことにします。みなさんが(このブログを読んでいただいている数少ない奇特な方々にとって)ブラック企業とはいかなるものか、会社の辞め時(見切り)はどうすればいいのか、という手がかりになればと思います。

では、まず他業種からの華麗なる転身を遂げた最初のブラック会社から。その会社は独立系で配線工事(ダークファイバーとか)と某大手ベンダーの下請けをやっておりました。IT経験不問で入れた会社は、当然のようにブラックでした。一口にブラックと言っても何となくのイメージではなく、世間でよく語られる要素を備えておりました。ブラック企業の条件を満たしていたのは、具体的にはこんな感じです。

  • 見なし残業が能力給に含まれる。しかも40時間程度。これは多い部類です。能力給で調整するということは当然基本給は低いです。もちろん総額も低いです。時給単価を計算したら700円程度でした(!)コンビニバイトの方がずっとマシだよ。
  • 毎朝朝礼があり、所長(営業所の長)の前で全社員が当日の予定を発表する。自社待機だとあまり言うこともないが、社内学習というと内容を詳細に説明しろと言われる。
  • 最後に経営理念を社員全員で唱和する。社員心得とか社訓ならまだ分かりますけど、経営理念て経営陣が考えることだろうに。
  • とにかく所長というやつがエラそうにしている。強大な権力を持っているらしく(どうやら取締役らしいです)、たとえて言うなら○朝鮮のエラいお方のように権力を振り回していました。
  • 例えば、出向していた社員が事務所に戻ってきます。彼らは荷物を置くと一目散に将軍様、じゃないや所長の元にあいさつに行きご機嫌を取るのです。なんて分かりやすいんでしょうか!

それだけではありません。こういう会社は基本的に外部に人員を派遣してその上がり(単金)で食うのがセオリーです。なので、社内で待機している人間にはとても厳しいです。その所長も無駄にプレッシャーをかけてきました。本来なら1日でも早く戦力になるよう教育するべきなのに。その尋常でないプレッシャーに初日から相当なダメージを受けていました。この時辞めていれば、こんな不幸に見舞われることはなかったかもしれない、そんな後悔が今でも湧き上がってくることもあります。やたらとトイレで水を飲んでいた印象しかないですね。この時に早くもうつ状態になっていたかもしれないのに、それに気づけなかったのは不覚と言うほかはありません。

エピソードの一つを紹介しておきますと、初日にいきなり今日の作業を日報にして書け、フォーマットは任せるというので、それなりに(自分で考えて)提出しました。ところが、それに対してなんだこれは?ふざけてるのか?などというリアクションをするのです。社内で一定のフォーマットがあるならそれを提示するべきなのに、いきなり何も無い状態から書かせて、出来たものをバカにする。これが彼らにとっての教育なのかもしれませんが、どう考えても異常です。

自分は、1ヶ月程度の飼い殺し状態(事務所での軟禁)を経て配線工事部隊に配属され、それなりに業務をこなしていました。未経験なので、言われるがままに手伝うだけでしたけど。それと並行してCCNAなる資格があり(当時のCCNAは簡単でかつて存在したCCENTぐらい)、それを取れと言われ必死に勉強した結果、なぜか合格できました。それが地獄からの脱却につながったように思います。ちなみに社内のセミナー、勉強会と言うものはなく、元請けのベンダーからもらった問題集ぐらいしか教材はありませんでした。当然教えられる人もいません。社内にCCNA(当時)ホルダーが一人いたとは聞いていましたが。

それでも、がんばった結果奇跡的に合格することができました。当時は関西にいましたが、関西ではCCNAも珍しい存在、CCNPなんて神様扱いでした。そうすると所長に声をかけられました。お前、YRPを知っているか?知らねーよ、そんなもん。それは関東にある某携帯キャリアの研究施設でした。付き合いのある会社がその研究施設の業務のツテを持っているから、面談に行ってこい、MPLSとかいう技術が必要らしいから勉強しろ、と言われました。察しが付くと思いますが、あの事務所にはそんな高度な技術を教える人もいないし、適当な教材すらありません。

さらにひどいのは、受け入れ先の会社が東京にあるからお前一人で行ってこいと言われたことです。普通こういうのって営業が付き添ってくれるんじゃないの?あ、この会社営業はいないんだ。というわけで一人淋しく新幹線に乗り自由席の座席を確保し(東京~新大阪間の新幹線のぞみで自由席を使わせる会社はブラックと断じて間違いないです)、東京へ乗り込みました。自分が旅慣れた人間であることをありがたく思ったのは言うまでもありません。地図を頼りに元請けの本社を訪問し、本社の事業部長以下エライさんの前で面談を受けました。ですが、それはあっさり通ってしまい、後はネットワーク部門の課長に業務説明などを受けました。そして、意外にもあっけなく関東転勤が決まりました。

さて、転勤で問題になるのは住居です。最初は自社の持っている寮アパートの管理人室を4人で共有するという劣悪環境)の話もありましたが、結局元請けも社員寮を持っているということでそちらに入ることができました。そこはトイレ、風呂は共同でしたが個室が割り当てられ、それなりに快適な住まいでした。

さあ、いよいよYRPでの生活が始まりました。CCNA(昔は簡単だった)を取得しているとは言え、ほぼ素人状態であまりに高度すぎる業務内容に混乱しておりました。よくクビにならなかったなと今でも不思議に思いますけど、当時から人手不足だったのではないかと思われます。それでも、(いろいろ怒られながらも)どうにか日々を過ごしていました、というよりはクビになってまたあの暗黒の関西の事務所に戻りたくない、そんな一心で必死にしがみついていたという表現が適切でしょうか。

そうやって、半年が過ぎました。ほぼ素人の状態からそれなりに分かった感じの人にレベルアップした頃、自社は新たな刺客を送り込んできました。あいつでもできるぐらいだから、そんなにレベルは高くないだろう。そんな本社のふざけた評価がうかがい知れます。年が明けて1人目の刺客がやって来ました。当然ながら自分が入った頃に近いド素人です。ちなみに彼は東京の支社から来たそうです。なんだよ、自分はわざわざ大阪から送り込まれた人柱だったのかよ。

その1人目(仮にA氏と呼んでおきます)は、CCNAは持っていたようなのですが、YRPでの過酷(?)な業務に1ヶ月ぐらいで音を上げてしまいました。「僕にはもう無理です!」結局代わりが見つからないとかいう妙な理由で3ヶ月ばかりは居続けましたが、かなりつらそうでした。そして、2番目の刺客(B氏としておきましょうか)が当地にやってまいりました。これは前任者に輪をかけて頼りない男でした。前任者はそれなりに評価されていたのですが、今度来た男は元請け(現場)のプロパーに「あいつは大丈夫なのか?」と心配されるような状態でした。これまた、自分のせいでしょうか、現場をなめきった男でろくに業務を理解してないようでした。親しいプロパーに印象を聞くと、教えたことは理解してるがいかんせん基礎ができてないので、知識が断片的でまとまっていないとジャストミートな正論を言われてしまいショックを受けたことを覚えています。

そのB氏も2ヶ月程度で終了となってしまいました。居住地があまりに遠く、家賃補助が出るから近くに引っ越せとアドバイスしても聞く耳を持たず、作業中でも終電がありますからと平気で帰って行ったようなやつでしたので、当然の結果でしょう。そうして追加人員が次々とつぶれていき、所属会社への不信感も増してきたところで、受け入れ会社(ややこしいのは承知ですが、現場では協力会社です)からウチに来ないかとオファーを受けました。今の会社よりは当然条件もよくなるし、有形無形のパワハラからも解放されます。2つ返事で了承しました。そうして、関西のブラック企業からついに卒業(脱出)することに成功したのでした。

この仕事はきついです、自分には無理でした。ですので、この業界も辞めます。そのように自社の担当営業(的なポジションの人)を通じて話をしました。課長はハッキリ言って頭が悪いし、話が通じないのでなるべく関わらないようにしました。担当営業(的なポジションの人)はこのブラック企業にはもったいないいい人だったのですが、今後を考えお別れすることにしました。最後にアホの課長が、帰ってきて所長にあいさつしろなどと言ってきましたが、華麗にスルーしておきました。今さら話すこともないし、精神衛生上デメリットしかないことをわざわざする必要なんてないですよ。

あの会社に入ってよかったこと?中途未経験からIT業界に入れたことぐらいですかね。結局入口はブラック企業しかなかったけど、他に道がなかったのでやむを得ない選択ではなかったかと思います。ただ、早々に実力を付けて泥沼から脱する必要も感じました。