僕が会社を辞めたわけ(2)

多少ゴタゴタしましたが、前のブラック会社を退職することができ、YRP業務の上位会社(現場では協力会社ですが)に転職することができました。もう自分を邪魔するものはいない。これで安心して業務に集中できる。と一安心していました。

ところが、平和というものは長く続くものではないのです(ガーーーン)。YRPに勤めて3年ぐらい経った頃でしょうか。この会社のメイン業務の都合で、そちらに飛ばされることになりました。しかも、本来なら会社が別業務で人が足りなくなったので、そちらの僕くんを引き揚げてよいだろうか、とでも言うのがスジだと思うのですが、あろうことか会社が僕くんが今の業務をつらいと言っている、辞めたいと言っている、だから辞めさせます、などと大ウソをついたらしいのです。なぜ分かったかというと、その後の展開(第3回で詳説)で、あの会社の課長さんがそう言ってたよと聞かされたからです。

さて、新しい現場(主業務と言いましょうか)の方はと言うと、あまり細かく書きませんけど、いろいろとエンドユーザと折衝して成果物を提出する、ちゃんとした請負契約の現場でした。SESからの脱皮はいいことだと思いましたけど、リーダーの課長が意識高い系というのかやる気が無駄にあるというのか、とにかく業務量が尋常ではありませんでした。どのくらいかというと相当がんばっても定時には終わらない、日付をまたぐのはデフォルト、明け方近くまで作業することもありました。では、深夜残業含めて相当な厚遇では?いや、深夜勤務になると翌日明け休になるからとか言うヘンな理由で、深夜残業は禁止でした。と言ってもよく聞くブラック企業の残業はありません理論みたいなもので、残業を付けさせないというのが正しい表現でしょう。やはり労基署に密告した方が業界のため(そして後輩たちのため)だったかなと後悔の念に駆られることもあります。

それだけでも問題でしたが、もう1つ自分にとって合わなかったのは多分に営業要素が含まれていたことです。まあ、SESから抜け出すためには交渉力も必要なんだな、営業(つまり御用聞き)スキルも必要なんだということを学びました。その面ではプラスだったのかもしれないと思います。

当然のごとく、テンションはだだ下がりでしたが、給料だけはよかったように思います。それがなければ即ドロップアウトだったでしょう。それでも、自分の営業力、交渉力のなさが露呈し、特にややこしい顧客が相手だとその傾向が顕著に出てしまいました。それ以外の原因もあるでしょうが、とうとう倒れてしまいました。ある朝、起き上がろうとしたら起き上がれないんですね。ああ、これがITの仕事で病むってことかあ。もちろん、会社(正確にはあの課長)とゴタゴタして病院に行って適応障害という診断をいただきました。1ヶ月の休業加療を要すと書かれてましたが、復帰したところで同じ憂き目に遭うことは明らかです。

それでも多少は考慮されたのか(被害を防ぐためと言う理由が大きいでしょうが)、復帰後は多少穏やかな案件に回されました。そちらではなんとかうまくやっていたのですが、問題が起きた案件の方でどうしても人が足りないという理由で、そちらに戻されることになってしまいました。もっともこういう業態では、1人で複数案件を担当することが多いため、1つの案件を外れても別の案件は走っているので、仕事がなくなるわけではないです。他の案件は比較的うまく進んでいたのですが、やはり問題の案件はストレスが過大にかかりました。年下の部下たち(経験年数は彼らが長いのですが)があまり言うことを聞いてくれない、俺たちの方がよく知っているという錯覚から勝手な行動を取るという問題も精神的なストレスを助長していたように思います。

2回目に倒れた時、また診断書を添えてお休みを願い出ようとしましたが、こんなことを繰り返すぐらいならここにいても仕方ないと考えました。余談ですが、一度倒れたあと職場のメンバーたちの態度が急に変わったことも気になりました。悪い方向にですよ。それまでは経験ある先輩という見方だったのが、役に立たねえオッサンという評価に変わっていました。おそらくあのゴミ課長が彼らを誘導したであろうことは想像に難くありません。良くも悪くもカリスマのある人物でしたので、若い人間が彼の思想になびくのは仕方ないことでしょう。

そのゴミ、いや課長からも言われたことがあります。自分が担当した案件の客先担当者からクレームを言われた。1人、2人なら相性もあるが、みんなから言われるのはお前の人間性に問題があるからだと。その言葉、そのままお返ししてあげたかった。自分の私利私欲のために労働法を無視して、無知な若者をこき使い、平然と批判だけを行う。精神を病んでいなければ目にもの見せてやったのに。ついでに言うなら、おそらく(これは自分の空想ですが)客先にバカみたいに高い料金をふっかけるもんだから、先方もそれを取り返そうといろいろ無茶な要求をしてきました。それが影響してるんじゃないのかね?なんだ、やっぱりゴミのせいじゃん。

この無駄にクソ暑いイリーガル上司と付き合っても幸せにはなれない、そういう気持ちでしたし、会社の方もこんな役立たずいらねえという態度でしたので、双方の利害が一致したところで辞めることにしました。病気療養中のため、退職の手続きはあまりやってなかったような気がしますが、お決まりの退職願だけは出したかもしれません。これでも自己都合なのか。そうなると失業保険の支給は3ヶ月待機となりますが、この時点で失業保険をもらわない人にクラスチェンジできましたので、失業保険の手続きは一切してません。

この時は、もうこんな業界なんていても仕方ないから元の業界に戻ろうか、とぼんやり考えていましたが、なぜか昔の職場の人から連絡があり、その人の会社に入って現場復帰(?)することになりました。前の職場で、気心の知れた仲間もおり、これで安泰だと思っていたのですが。(その3に続く)

僕が会社を辞めたわけ(1)

ある時職場の後輩に言われました。「先輩は、なんで前の会社を辞めたんですか?」前の会社ってどれ?いくつかあるんだけど。IT業界に入る前も転職したことはあるけど、それは単に給料が安かったからだしなぁ。細かいことを書くと面倒なので書かないけど、大まかに言えばそうなります。

でもたぶん聞きたいのはIT業界の会社を渡り歩いた(?)理由でしょうから、それをここで書いていきたいと思います。役に立つのかどうか分かりませんけど、何かの参考になればと思い、自分の失敗談を語っていくことにします。みなさんが(このブログを読んでいただいている数少ない奇特な方々にとって)ブラック企業とはいかなるものか、会社の辞め時(見切り)はどうすればいいのか、という手がかりになればと思います。

では、まず他業種からの華麗なる転身を遂げた最初のブラック会社から。その会社は独立系で配線工事(ダークファイバーとか)と某大手ベンダーの下請けをやっておりました。IT経験不問で入れた会社は、当然のようにブラックでした。一口にブラックと言っても何となくのイメージではなく、世間でよく語られる要素を備えておりました。ブラック企業の条件を満たしていたのは、具体的にはこんな感じです。

  • 見なし残業が能力給に含まれる。しかも40時間程度。これは多い部類です。能力給で調整するということは当然基本給は低いです。もちろん総額も低いです。時給単価を計算したら700円程度でした(!)コンビニバイトの方がずっとマシだよ。
  • 毎朝朝礼があり、所長(営業所の長)の前で全社員が当日の予定を発表する。自社待機だとあまり言うこともないが、社内学習というと内容を詳細に説明しろと言われる。
  • 最後に経営理念を社員全員で唱和する。社員心得とか社訓ならまだ分かりますけど、経営理念て経営陣が考えることだろうに。
  • とにかく所長というやつがエラそうにしている。強大な権力を持っているらしく(どうやら取締役らしいです)、たとえて言うなら○朝鮮のエラいお方のように権力を振り回していました。
  • 例えば、出向していた社員が事務所に戻ってきます。彼らは荷物を置くと一目散に将軍様、じゃないや所長の元にあいさつに行きご機嫌を取るのです。なんて分かりやすいんでしょうか!

それだけではありません。こういう会社は基本的に外部に人員を派遣してその上がり(単金)で食うのがセオリーです。なので、社内で待機している人間にはとても厳しいです。その所長も無駄にプレッシャーをかけてきました。本来なら1日でも早く戦力になるよう教育するべきなのに。その尋常でないプレッシャーに初日から相当なダメージを受けていました。この時辞めていれば、こんな不幸に見舞われることはなかったかもしれない、そんな後悔が今でも湧き上がってくることもあります。やたらとトイレで水を飲んでいた印象しかないですね。この時に早くもうつ状態になっていたかもしれないのに、それに気づけなかったのは不覚と言うほかはありません。

エピソードの一つを紹介しておきますと、初日にいきなり今日の作業を日報にして書け、フォーマットは任せるというので、それなりに(自分で考えて)提出しました。ところが、それに対してなんだこれは?ふざけてるのか?などというリアクションをするのです。社内で一定のフォーマットがあるならそれを提示するべきなのに、いきなり何も無い状態から書かせて、出来たものをバカにする。これが彼らにとっての教育なのかもしれませんが、どう考えても異常です。

自分は、1ヶ月程度の飼い殺し状態(事務所での軟禁)を経て配線工事部隊に配属され、それなりに業務をこなしていました。未経験なので、言われるがままに手伝うだけでしたけど。それと並行してCCNAなる資格があり(当時のCCNAは簡単でかつて存在したCCENTぐらい)、それを取れと言われ必死に勉強した結果、なぜか合格できました。それが地獄からの脱却につながったように思います。ちなみに社内のセミナー、勉強会と言うものはなく、元請けのベンダーからもらった問題集ぐらいしか教材はありませんでした。当然教えられる人もいません。社内にCCNA(当時)ホルダーが一人いたとは聞いていましたが。

それでも、がんばった結果奇跡的に合格することができました。当時は関西にいましたが、関西ではCCNAも珍しい存在、CCNPなんて神様扱いでした。そうすると所長に声をかけられました。お前、YRPを知っているか?知らねーよ、そんなもん。それは関東にある某携帯キャリアの研究施設でした。付き合いのある会社がその研究施設の業務のツテを持っているから、面談に行ってこい、MPLSとかいう技術が必要らしいから勉強しろ、と言われました。察しが付くと思いますが、あの事務所にはそんな高度な技術を教える人もいないし、適当な教材すらありません。

さらにひどいのは、受け入れ先の会社が東京にあるからお前一人で行ってこいと言われたことです。普通こういうのって営業が付き添ってくれるんじゃないの?あ、この会社営業はいないんだ。というわけで一人淋しく新幹線に乗り自由席の座席を確保し(東京~新大阪間の新幹線のぞみで自由席を使わせる会社はブラックと断じて間違いないです)、東京へ乗り込みました。自分が旅慣れた人間であることをありがたく思ったのは言うまでもありません。地図を頼りに元請けの本社を訪問し、本社の事業部長以下エライさんの前で面談を受けました。ですが、それはあっさり通ってしまい、後はネットワーク部門の課長に業務説明などを受けました。そして、意外にもあっけなく関東転勤が決まりました。

さて、転勤で問題になるのは住居です。最初は自社の持っている寮アパートの管理人室を4人で共有するという劣悪環境)の話もありましたが、結局元請けも社員寮を持っているということでそちらに入ることができました。そこはトイレ、風呂は共同でしたが個室が割り当てられ、それなりに快適な住まいでした。

さあ、いよいよYRPでの生活が始まりました。CCNA(昔は簡単だった)を取得しているとは言え、ほぼ素人状態であまりに高度すぎる業務内容に混乱しておりました。よくクビにならなかったなと今でも不思議に思いますけど、当時から人手不足だったのではないかと思われます。それでも、(いろいろ怒られながらも)どうにか日々を過ごしていました、というよりはクビになってまたあの暗黒の関西の事務所に戻りたくない、そんな一心で必死にしがみついていたという表現が適切でしょうか。

そうやって、半年が過ぎました。ほぼ素人の状態からそれなりに分かった感じの人にレベルアップした頃、自社は新たな刺客を送り込んできました。あいつでもできるぐらいだから、そんなにレベルは高くないだろう。そんな本社のふざけた評価がうかがい知れます。年が明けて1人目の刺客がやって来ました。当然ながら自分が入った頃に近いド素人です。ちなみに彼は東京の支社から来たそうです。なんだよ、自分はわざわざ大阪から送り込まれた人柱だったのかよ。

その1人目(仮にA氏と呼んでおきます)は、CCNAは持っていたようなのですが、YRPでの過酷(?)な業務に1ヶ月ぐらいで音を上げてしまいました。「僕にはもう無理です!」結局代わりが見つからないとかいう妙な理由で3ヶ月ばかりは居続けましたが、かなりつらそうでした。そして、2番目の刺客(B氏としておきましょうか)が当地にやってまいりました。これは前任者に輪をかけて頼りない男でした。前任者はそれなりに評価されていたのですが、今度来た男は元請け(現場)のプロパーに「あいつは大丈夫なのか?」と心配されるような状態でした。これまた、自分のせいでしょうか、現場をなめきった男でろくに業務を理解してないようでした。親しいプロパーに印象を聞くと、教えたことは理解してるがいかんせん基礎ができてないので、知識が断片的でまとまっていないとジャストミートな正論を言われてしまいショックを受けたことを覚えています。

そのB氏も2ヶ月程度で終了となってしまいました。居住地があまりに遠く、家賃補助が出るから近くに引っ越せとアドバイスしても聞く耳を持たず、作業中でも終電がありますからと平気で帰って行ったようなやつでしたので、当然の結果でしょう。そうして追加人員が次々とつぶれていき、所属会社への不信感も増してきたところで、受け入れ会社(ややこしいのは承知ですが、現場では協力会社です)からウチに来ないかとオファーを受けました。今の会社よりは当然条件もよくなるし、有形無形のパワハラからも解放されます。2つ返事で了承しました。そうして、関西のブラック企業からついに卒業(脱出)することに成功したのでした。

この仕事はきついです、自分には無理でした。ですので、この業界も辞めます。そのように自社の担当営業(的なポジションの人)を通じて話をしました。課長はハッキリ言って頭が悪いし、話が通じないのでなるべく関わらないようにしました。担当営業(的なポジションの人)はこのブラック企業にはもったいないいい人だったのですが、今後を考えお別れすることにしました。最後にアホの課長が、帰ってきて所長にあいさつしろなどと言ってきましたが、華麗にスルーしておきました。今さら話すこともないし、精神衛生上デメリットしかないことをわざわざする必要なんてないですよ。

あの会社に入ってよかったこと?中途未経験からIT業界に入れたことぐらいですかね。結局入口はブラック企業しかなかったけど、他に道がなかったのでやむを得ない選択ではなかったかと思います。ただ、早々に実力を付けて泥沼から脱する必要も感じました。