家族というものについて

家族といえば何を指すものでしょう。普通は親とか兄弟とかそういう人を指すのだと思いますけど。ただ、それは学生までの思考ではないかと思います。

大人になり、社会人になり、さらに歳を取ると自分の周りにいる家族というものは、親兄弟ではなく配偶者や子供たちを指すのではないかと思います。

マッキーの歌にも、「誰かを愛したその時から家族の意味さえ変わってしまう」というのがありましたけど、それこそが家族というものが親兄弟から次第に配偶者(妻)や子供にシフトしていくことを表しているのではないでしょうか。

自分も僭越ながらいつかは自分の家族を持ち、家族を養うものだと思っていました。子供の頃は、人はみな大人になれば自動的に結婚して、勝手に子供が発生して家族というものを手に入れて、それを守り育てるものだと根拠もなく信じていました。

そして、自分が結構な年齢になり、それなりに努力もしてきたのに、パートナーに巡り逢うこともできず、ただ日々の苦行につぶされて無駄に歳を取っているという現実に気付かされたのでした。

外に出て、ふと周りを見ると、街角や電車の中などで家族連れを見ることがあります。10年以上前であれば、自分もそのうちパートナーに出会って、こんな風に家族を持つのだろうと漠然と考えていました。ですが、すべての努力が無駄に終わり、婚活サイトなどにかなりのお金を浪費したにもかかわらず何の成果も挙げられないまま、生涯未婚にカウントされる歳が近付いてきた時、現実から目を反らすこともできなくなりました。

こんな言い方をするのも変ですが、自分もそんなに悪いDNAを持っているわけではない、一応名の通った大学を出て、何とか世間の平均年収を超えるぐらいはもらえている、少なくとも中央値よりはずっといい給料を稼いでいる。でも、家族を持つことができなかった。昔は自分の子供に色々教えて立派な人間に育つように、親のように間違った教育だけはすまいと心に決めていました。

ですが、ここまで年齢を重ねてしまって、まだ男性の方が年収に拠るところが多いので、挽回できなくはないと言われていますけど、楽しそうな家族連れ(時に大音量で泣き叫ぶ小さな子)を見ていると、もう日本の将来は彼らに託せばいい、自分はこのまま静かに現世からフェードアウトするのがみんなの為なのではないかと考えるようになってきました。

♫生きてる理由なんてない、だけど死にたくもない、そうして今日をやり過ごしてる・・・。そんな歌もありましたけど、生きてる理由はもうないでしょうね。死にたくないか?と聞かれれば、死ぬことに恐れはない。このまま生き恥を晒すよりはマシだろうと答えるでしょうね。

かと言っていきなり理由やきっかけもなくフェードアウトすると変なので、それなりに節目の所で消えるのが良いのではないかと思います。それまでに状況が好転して、先の人生が見えるなら、それに越したことはありませんけど、果たしてどうなのか?まだ半年ぐらいは考える時間があるようなので、ゆっくり考えたいと思います。その後は今は考えないようにしようかなと。

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だそうです。ご参考までに。