アドラー勉強中(完)

アドラー心理学について、まとめようとしたんですがここまで全くまとまっていなかったことをお詫び致します。

前回までいろいろ書きましたけど、幸せになるためには自己受容、他者信頼、他者貢献が必要であるというのが、まず前提としてあります。では、自分は幸せなのか。それは今を考えることが大事です。まだ目標を達成していないから幸せではないのかと言うとそうではない。昔の偉い人の伝記などを読んでいると、何歳の時に研究を始めて、何歳で会社を興して、何歳で大きな業績を上げたとか出てきますけど、では一定の成果を上げるまでは人生は未完成なのか、自分はまだ何も実績がないから人生が始まってないのか。

ストーリー的に見ればそうなんでしょうけど、自分の未来は分かりません。ストリーで捉えると、翌週に大学受験があるけど、その前に病気で倒れて試験を受けられなかったら、人生終了することになるのかもしれませんが。自分の人生というのは分からないものです。一寸先は闇という言葉もあるように、明日何が起こるかは分かりません。人生設計を完璧に組み上げて、その通りに人生を送れるなんてことはあまりないでしょう。アドラー的には、過去から現在、未来という流れではなく、今ここ(Now and Here)の点に注目します。人生は線ではなく、点の集合体であり、いまここで自分の人生は完結している、と考えます。自分の人生はまだ始まってないとか、たいした成果もないから中途半端だとか考えません。

ここで注意したいのは、いわゆる刹那主義というやつとは違うということです。刹那主義というのは、明日は分からないからもうどうでもいいやと、人生をいい加減に送ることです。しかし、アドラー的な考えでは今日1日何か(勉強とか仕事とか)をやった、その連続によって人生が形成されてるということになります。受験勉強でいうと、1日の勉強は即受験に直結はしないけど、分からない問題を解けたら嬉しいものです。模試で順位が上がったり、志望校判定が上がったら嬉しいですよね。そういう日々の連続の先に受験があるという考え方です。

フロイト的な原因論だと、あの時問題集を解かないで寝たからとか、夏の高校野球を見てしまったからとか、受験の直前に言い訳するのでしょうが、アドラー的思考だと過去は考えません。入試を受けるのは今の自分なのですから、今の自分を信じるしかないです。

最後に、人生にどんな意味があるのか。ありません。アドラーは、一般的な人生の意味はないと答えています。人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ、とも言っています。意味付けというのも結局他人の話なんですよ。お前の人生は空虚で無意味だ、と言われたら知らねーよと無視しましょう。他者の人生に引っ張られない、自分の人生を生きる、それが自由というものらしいです。ただ、自由と言われてもどうしてよいか分からない。そうですね。ですので、アドラーは「導きの星」というものをあげています。つまり、暗闇の中でも見上げれば星がある(例えば北極星みたいな)。それを目指していれば道に迷うことはないでしょう。その目標が他者貢献なのだそうです。

アドラー心理学に出てくる話というのは、一見バラバラなように見えて実は全てつながっています。それを理解するのはかなり大変です。自分でも、もう一度本を読み直してしっかり理解しなければいけないなと思います。お手軽な動画じゃあまりよく分からない。

今回もNさんのエピソードですが。ある時Nさんに旅行中の写真を送ったんですが、食事が地元の名物でなく吉○家だったことに激怒されました。「どうして君はそんなどこでも食えるものを選ぶんだ。旅行したら、地元の名産品を堪能しなければならない。」そうおっしゃいました。他者への介入半端ないです。これも、本当に自分と他者の課題の分離ができていない好例ではないかと思いました。なぜ、自分が地方の名物でなく、チェーン店を利用するのか。旅行のスタイルの違いもありますし、他にも理由はあるんですが、それをいちいちNさんに説明して同意を得る必要はないと判断しました。一緒に旅行していて、ひつまぶし食わせろというのなら、まだ理屈は通りますけど。同行しているなら、他者ではなく自分の課題ですからね。

アドラー勉強中(3)

アドラー心理学について、珍しく本を買って(いつもなら動画サイトとかまとめサイトで済ませるところですが)真剣に勉強しようとしています。面白い理論(または思想)ではありますが、やっぱりちょっとクセがあるような。

根底にある考え方は、世界は変えられるということです。といっても、革命を起こして世界を変革するとかそんな大げさなものではなく、世界の見方を変えるということです。つまり、主観的な考え方ですね。そして、人は今すぐ幸福になれる。これも主観的な話です。今の世の中を見て、なんとひどい世界だろうと悲観するか、何とか生きられてるからいいかと思うか。

ちょっと話がそれますが、ブータンは幸せの国といわれています。それは国民の幸福度(幸福だと思っている人の割合)が高いからだといわれています。かと言って日本よりも豊かで満たされているかといえばそうでもないようです。治安がよいわけでもない。それでも、多くの国民が今の生活が幸せだ、満足だと思えば、幸福度は高くなるわけです。つまり、幸せって主観なんですよね。そこにヒントがある気がします。アドラー心理学で今すぐ幸せになれると説く人は、みんなが今すぐ億万長者になれる、異性にモテモテになるとかいう意味で幸せになれるといっているわけではないです。

では、何故に人は幸せになれるのか。それに関わるキーワードがあります。自己受容というものです。つまり、今の自分を受け入れるということですね。ビンボーでもモテなくても140km/hのナックルカーブが投げられなくても、自分を受け入れて自分の存在が価値あるものだと思う。もう少し細かく言うと、「自立すること」と「私には能力があるという意識」となるそうです。それを助けるのが他者信頼、そして他者貢献なのです。

ちょっと話が長くなるのを覚悟で書きますけど、他者信頼は文字通り他者を信じること。と言っても、もちろん中にはイヤなやつはいます。自分を認めず、何かとバカにしてきたり、自分の功績を評価しない人。そういうのは無視します(断言)。イヤなやつは無視して、仲良くなれる人を大事にする、その人を中心に考えれば、自分の敵になる人って案外少ないことに気付きます。自分の信頼が置ける人、邪魔をしない人を中心に据えれば、他者信頼は実現できます。他者信頼のためには「社会と調和して暮らせること」、「人々は私の仲間であるという意識」が必要です。

それができたら、次のステップである他者貢献になります。他者から感謝されたり賞賛されなくても、共同体(学校とか職場レベルでよいです)で他者に貢献できること。目に見える効果がなくても、周りの人に「ありがとう、助かるよ」なんて言われなくても、共同体の仲間にプラスになることができれば他者貢献は実現できています。やや自己満足に近いかもしれませんが、実現しているのです(キッパリ)。ちなみに、本の中では例として専業主婦の事が書いてありました。旦那が食器の片付けを手伝ってくれない、子供はとっとと自分の部屋へゲームしに行く、なんで私ばっかり家事をやらないといけないの?と思うより、私は感謝されなくても家族のために貢献できている、そう考えると怒る気持ちはなくなるとか。どうかな?全国の専業主婦が抗議してこないか心配だな。

また、学校や企業の人間関係に悩んでいる人に言いたいことは、共同体をもっと大きな枠組みでとらえようと言うことです。例えば、学校の先生がとても偉そうだ、職場の上司が絶対的な権力を持っている、と自分を取り巻く環境が問題を抱えているとします。しかし、待ってください。学校の先生が威張れるのは学校の中だけ、職場の上司が横暴を働けるのは会社の中だけです。特に社会人になったら、合わない職場なんて辞めてしまえばいいのです。これは自らの体験も含まれますが、会社の経営方針がおかしい、上司の頭がおかしい、正社員なのに給料がコンビニバイトより安い!そういう会社からは抜け出すようにしてきました。退職届を叩きつければ、頭のイカレた上司との関係はそこでおしまいです。

前に、人間関係を縦の関係で見てはいけないという話をしました。そこから派生する考え方は人を褒めてはいけない、叱ってもいけないというものらしいです。じゃあ、どうするんだよ?という疑問は湧いてくると思います。そういう時は感謝の気持ちを述べます。つまり、ありがとうとかそういう言葉ですね。ありがとうという言葉は対等であり、そこに対人関係の順列を作るものではない(つまり横の関係)。それがアドラー心理学の主張です。それで相手に伝わるのか?もう1つアドラー心理学のキーワードがあります。それは、勇気づけというものです。感謝の言葉を述べ、相手にあなたは共同体に貢献している(他者貢献できている)ということを認識させるのです。それが生きる勇気につながっていく、そういうことらしいです。

自己受容、他者信頼、他者貢献を順番に書きましたけど、そういう順番に並んでいるのではなく、これらはお互いにつながったものです。自分の能力を意識し、周囲の人を敵ではなく仲間だと思う、そうすればこの世界に自分の居場所はできる(共同体感覚)、そして仲間のためにできることをして役に立つ(他者貢献)ということになります。

もう1つ、アドラー心理学で出てくる言葉に「人生の嘘」というのがあります。これは、何かと理由を付けて人生のタスクから回避することだそうです。ちょっと話が前後してしまいましたが、フロイトの提唱する説は原因論、つまり過去に原因があって、それが今の自分を形成しているという考え方です。アドラーはそれにまともに反対しています。アドラーの説は目的論と言われています。過去は関係なくはないが、それが原因ではない。過去のことに対する意味付けによって現在は変わる。自分が不幸なのは過去に問題があったからではなく、それを言い訳にして変わらない決意をした、(それは変わることを恐れているから変わらないという目的による)からだと主張しています。

自分が不幸なのは、子供の頃の家庭が貧しかったからだ、両親が小さい時に離婚したからだ、就活したのが就職氷河期だったからだ、と過去に原因を求めて、現状を納得させる人もいる。じゃあ、同じ境遇の人はみんな同じように不幸なのか?同じように悲惨な人生を送っているのか?そうではないはずです。過去の出来事が原因となるのではなく、そこにどんな意味付けをするかで現在は変わるというのがアドラーの主張です。過去に囚われずに幸せを目指すために必要なのが勇気なのです。現状を変えることを恐れず、幸福に向かって進むための勇気です。

長くなってしまいましたが、最後にNさんの迷言を一つ。「アドラーは承認を否定している。だから私は君を承認しない。」などと意味不明な発言をされて、リアクションに困ったことがあります。やっぱり理解してな(ry ちゃんと書いておくと、アドラーは承認欲求を否定しているのです。承認とは他人がするものだから、それに囚われると他人の基準に合わせることになり、他人の人生を生きることになる。つまり、他人の意見に振り回され、自分を失うということになりかねない。基準はあくまで他人ではなく自分であり、理想の自分が目標です。ピアノが上手に弾けなくてもいい、100mを9秒台で走らなくてもいい、日本の元号を大化から令和まで丸暗記しなくてもいい。自分なりの目標、理想があるはずです。それを目指せということなんですが。

一応読み終わったので、次回はまとめを書こうと思います。まとめにならないかもしれませんけど。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。