実録ブラック企業

最近ブラック企業というのが話題になっていますね。特に不景気になるとそういうのが増えてくるようです。好景気で待遇のよい会社があれば当然そちらを選びますが、景気が悪く簡単に転職、就職できない、そんな時の受け皿(?)なのかもしれませんが、正直ブラックな会社に入るぐらいなら無職の方がマシなんではと思います。

自分も今の業種になる前のハ○ーワークにお世話になっていた頃に、そういう会社に遭遇したことがあります。最初の会社をクビになって(その時もいろいろありましたけど)、一念発起して結構業界では人気のある資格を取得しましたが、経験値のなさで(と言うより未経験でしたが)あっさりとお断りされることが続き、たどり着いた先がそのブラック会社でした。入りやすいことだけが取り柄ですね。

当時は社会人経験も浅かったので、そんな会社もあるのかと思ってましたが、今から思えばトンデモナイ会社でした。以下に、自分が経験したあり得ない(尋常な会社であれば)経験を書いていきます。これらに当てはまる会社はブラック企業と判断して間違いないと思います。でも昔のことだから、いや今でもありそうな気はするな。

  • 健康保険がない(未加入)
    福利厚生は悲惨でした。ほぼ無かったと思います。厚生年金がないのは小さい企業だから仕方ない?いや、それも問題なんですけど、国民年金があるのでまあいいや(よくない)。それだけではありません。健康保険もない。これはさすがに困る。ということで社長に聞いてきました。すると、衝撃的な答えが返ってきました。
    「忙しいのに手続きしてる暇なんかあるか!」
    え?これ模範解答なの?有限会社でも社員数40人ぐらいいますよね?この時点で労基署に行くべきだったと思うんですが、当時はそんな知恵はありませんでした。
    雇用保険は途中から付きました。「キミが頑張っているからご褒美で付けたんだ」ウソつけ。雇用保険に関しては非常用社員の加入が義務づけられたからだろうが。
  • 昼休み(休憩時間)
    社長(略しようがないので社長です)が言いました。「労働基準法で1時間の休憩時間を設定しないといけない。だから勤務時間から1時間の給料を引けるんだ。」おい、ちょっと待て。労働基準法には1日に1時間の休憩時間が義務づけられていますが、それは勤務中に昼食などの自由時間を与えるという意味で、拘束したまま1時間の給与を払わなくていいという意味ではないぞ。この人やべー人だなと思い始めた時でした。
  • 残業代
    当然、残業代(時間外手当)というものもありませんでした。「うちは単価が安いからその分時間で稼げ」なんてフツーに言われてそうなのかと思ってましたが、何時間働いても時間数×時給しかもらえません。深夜手当なんてものもなく(自分の場合は22時以降の勤務は基本ありませんでしたが)、休日出勤なにそれおいしいのという世界でした。ちなみにアルバイトでも法定労働時間を超えて働く場合は残業代(割増)が付きます。
  • 休日とは?
    ある時社長が言いました。「いいかい、仕事のない休みの日というのがあるけど、それは休んでいいんじゃない。待機してるだけなんだ。」ゑゑっ!なんですって?!確かにシフト勤務で突然穴が開いた(急病人など)時に、急だけど来てくれないかということはありますけど、そのために仕事がない日は家にこもって電話を待っていろと?旅行に行くなんてもっての外!あまり本気にしないことにしました。付き合いきれんわ。
  • 給料を払いたくない?
    社長も結構フランクな方で(決して褒めているわけではありません)、いろいろと楽しい本音を語ってくれました。その中でも印象に残っているのは、「本当は給料なんか払いたくないんだ」というお言葉でした。この人は会社経営をなめている。それは随所に感じられましたが、誰が好き好んでお前のために無償労働を提供するんだよ?何のメリットもないぞ!と呆れるしかありません。これでハ○ーワークに求人を出しているんだから、何を考えているのやら(当然ハ○ワの職員も含めて)。
  • 正社員(正規雇用)?
    社長がある時言いました。「キミは正社員なんだから。」上記の事柄から考えても明らかにおかしいんですが、時間給(残業、深夜、休日手当なし)、厚生年金、健康保険もなし、そんな正社員なんているんですか?どうもこのオヤジは正規採用=定期的に働いているという考えのようでした。決まったシフトで時間給で働くのが正社員ならコンビニの店員なんてみんな正社員だよ。自分の勉強不足を恥じるしかありません。

こういう会社が社会的に存在を許されるなんて、そしてそんなク○会社に世話にならなければならない自分っていったい。と悩みもしました。ですが、頑張って仕事に打ち込んでいれば、捨てる神あれば拾う神ありという言葉もあるように、救い主が現れました。雑談の中で自分の悲惨な状況を話すと、「なんだよ、その変な会社は?そんなところなんか辞めてウチへ来いよ!」となんとも勿体ないお言葉をいただきました。その呼んでくれた会社は、厚生年金、健康保険はもちろん、残業代も休日手当もある、なんと労働組合もあるという大きな会社でした。それでも給料が大きく増えることはありませんでしたが。

自分にとって、ブラック企業はあまり嬉しくない、そして望ましくないですが、新しい業種への入口だったように思います。でも、ちゃんと労働条件などを見てまともな会社に入るべきだと思います。そしてやはりハ○ーワークはダメだわ。まともな企業はお金をかけて人材を募集します。無料で真偽不明の求人広告を出せるところは、例え公共施設でも信用ならない。それが社会勉強の結果得たものかもしれません。

僕が会社を辞めたわけ(4)

バックナンバー:
僕が会社を辞めたわけ(1)
僕が会社を辞めたわけ(2)
僕が会社を辞めたわけ(3)

会社の問題あり、現場の問題あり、様々な要因で人は会社を離れるものです。そんなわけで新しい会社にやってきました。

ここは、ソフト開発系のエンジニアが多く、ネットワークに関してはノウハウも仕事も少ない様子でした。ネットワーク関係が弱いから、そこを強化していきたいという話は理解できるように思いました。

ただ一番問題に感じたのは、営業たちがネットワークの業務というものを理解していなかったこと。よく彼らはインフラエンジニアという言葉を使いましたが、これは何かというとネットワークとサーバ系を一緒にした、いや混同した言葉なのでした。つまり、ネットワークの仕事もサーバ構築の仕事も、彼らのフィルタを通すとインフラと言う言葉に変換され、両者の区分はなくなります。

最初の仕事は、サーバ運用がメインだけどネットワークの仕事もあるという現場でした。既存の現場への増員ということであまり心配はありませんでした。いざ、現地で説明を聞いてみると、なるほどメインは業務基幹サーバの運用保守でネットワークの仕事はほぼ無いようでした。実際にネットワークらしき仕事としてはUnixサーバへのフィルタ設定の追加ぐらいで、iptablesファイルの編集なんてサーバエンジニアで対応できることだし、ネットワークエンジニアが出るまでもない、いや今までそんなファイル触ったことないわ!ということは100%サーバの仕事だな。やれやれ。

そんな現場も人員削減のため1年で終了になり、次はようやくネットワークの設計に。と思ったら一緒に請け負った仕事がネットワークの運用保守だったために、気が付けば自分も設計から外され、他の部下たち(自社の協力会社)と一緒に運用保守をする羽目に。自分は通信キャリアの経験があるのに、ビギナーがするようなネットワーク監視をさせられ、時には入るはずだった設計チームから素人相手のような雑な扱いをされ、その他いろいろありましたけど妙なストレスの溜まる現場でした。

そんな現場も元請けの大チョンボのあおりを受けて3ヶ月で終了(後から人が足りないから延長してくれないかと言われましたが、丁重にお断りしました)。次は何だ?サーバの仕事?これが悲劇の始まりだったとは。相手先の面談で話を聞いているとどうもサーバの話しか出ない。にもかかわらず担当営業(こいつがとんでもないクズだと分かるのはかなり後でした)が大丈夫ですと安請け合いしてあっさり決まりました。

お仕事はサーバの設計でした。今度はWindowsサーバです。名前は聞いたことあるなという程度のシロートに任された仕事は、サーバの設計、具体的にはOSのバージョンアップに伴う機能の検証と設定の見直し及び実装でした。それを聞かされた瞬間???となったのは言うまでもありません。しかもWBSを更新して進捗を報告せよと言われるも、何をすればいいのか分からない状態で全くお手上げでした。常駐先の担当者(リーダー)は忙しそうでとても質問できるような空気ではなかったし、そもそも何を聞けばいいのか分からない!ルータのコマンドが読めないやつにいきなりBGPの環境を構築しろと言ったらきっとこんな感覚になるんだろうな。

最初の1週間は地獄でした。いや、その後も地獄でしたけど。混沌の1週間をなんとかやり過ごしましたが、週末にはたまらず営業に連絡しました。「この仕事は無理です!」それに対する返答は、「そうか、まあがんばってね」というなんともふざけたものでした。やつの人間性を知っていれば納得したかもしれませんけど。その後も何をしていいか分からず途方に暮れる毎日。社食などがなく、お昼に連れて行かれる高い食堂での食事が財布に響きましたが、それよりも毎日の業務がとにかく苦痛でした。何をどうしたかもはや記憶がありませんけど、案の定倒れました。無駄に我慢強いことは時にデメリットになる、そう悟りました。

仕事は当然休職になったわけですが、ここの営業は無神経なのか成績に追われているのか次の案件探しに引きずり回されました。いつ復帰できるか分からないのに、そういう対応が症状を悪化させるかもしれないのに、こいつらダメだなと遠ざかる意識の中で何となく思ってましたが、なんとか次の現場が決まりました。今度はやっとネットワークの設計です。通勤は大変だけどようやく自分に適した仕事が回ってきた。と初めは喜んでおりました。

仕事の内容はよかったんですが、現場の人たち(元請けでもある)に少々、いや結構クセがあり、それに悩まされた印象もあります。ここも案件を複数抱えてそれを回している現場なのですが、それを担当しているのはプロパーで、我々のような下請けはそれをサポートする役どころとなります。そのため、こちらは仕事の分量や状況が読めず、来た仕事をこなすだけとなります。これは結構きついです。今まで工程管理はあまりしてなかったとは言え、チームの作業は決まっておりだいたい今はこんなフェーズです、残りこんな作業がありますというのは見えていたのですが、今回はそれがない。複数の案件があり、それを把握しているのは担当のプロパーだけなので。しかも、成績(売り上げ)みたいな指標があり、それに向かって躍起になっているからろくに説明もしてくれません。しかも、必要な情報を握り込んでいて、聞けば教えてくれるが案件の全体像が分からないので聞きようがない。しかも成果物のレビューでそれを突っ込んできて答えられないとなぜ分からないんだと怒る。理不尽もいいところです。それでも、ネットワークの仕事だからと我慢して続けていたのですが。

そんな状況の中でもどうにかやってましたが、理不尽な案件リーダー(とりあえずそう呼んでおきます)のせいでついに限界が来てしまいました。その仕事は他部署から回ってきたのですが(経緯は当然ながら分かりません)、システムの更改作業の手順書を作ってくださいというものでした。依頼元でヒアリングをして資料を受け取り、作業にかかったのですが。ここで理不尽リーダーが理不尽を発動します。手順書に体制表がない。機器にアクセスするIPアドレスがない。よって、この手順書は不備があるからダメだ。とおっしゃるのです。確かに普段の継続案件ではこちらがシステムの内容を完全に把握して(客先からほぼ全権委任されてますので)、そのようなデータは揃っていますが、今回は他部署からの依頼で手順書というか手順の概要を作ってくださいという依頼です。細かいデータの掲載などは依頼されていないし、いただいたフォーマットにもそのような記載はありません。にもかかわらず理不尽リーダーは、データが足りない、これではダメだと強弁するのです。話し合ってもご意見は変わらないようでした。そんなこんなである日の長時間に及ぶレビューという名の拷問の後、ついにキレました。もう無理だわ。ということで2度目のお休みになったのでした。

さすがにこれではいけない。年に1回のペースでリブートしていては仕事にならない。しかも、ここのポンコツ営業はネットワークとサーバの区別も付かないやつらばかり。ネットワークを強化すると言いながら彼らは勉強しているのか。ただ社長に叱責され目の前の数字しか見ていないような営業は信用ならない。そう結論付けました。できれば、自分がネットワークとサーバの違いを懇々と指導してあげたかったのですが、遠くの現場にいる以上それも叶いません。例によってお休み中ながらまたしても担当営業が次の案件探しましょうみたいなメールを寄越してきたので、キッパリともうこんな会社ではお仕事できません、ごめんなさいと正直に告げました。

そうだ、ここの会社を紹介してくれた今はマネージャとなった彼とのお話し合いがありました。あなたは何を言っているんだ、なんで辞めるなんて言うんだ!?と迫る彼にハッキリと言いました。ここの営業は未だにネットワークもサーバも区別が付いてないじゃないか。またインフラの仕事ですとか言って訳の分からない(語弊がないように補足すると自分は門外漢であるという意味です)サーバ仕事をやらされてはたまったものではない。それに1年に1回倒れるなんて,どんな仕事の取り方をしてるんだ?と、駅前の居酒屋で押し問答を繰り広げておりました。酔っ払いのケンカよりはややマシな程度ですかね。それでも、ネットワークを強化したいという要望のために会社のサーバに役に立ちそうな遺産を残していったので、そんなに文句を言われる筋合いはないのではと思います。本当は若いエンジニアたちにネットワークを教えて、勢力を拡大したいと思っていたんですよ。アホな営業が明後日の方向を向いた案件を持ってこなければ、実現したはずなんですけど。

自分に仕事を辞めても生きていけるほどの蓄財があればいいんですけどね。それもないのに辞めて大丈夫だったのか?実は、昔の仲間とのつながりというのが多少なりともありまして、その集まり(飲み会)の場で悲惨な現状を話していたところ、昔いた会社の営業と連絡が取れるから聞いてみたら、と言われていたのでした。そんなわけで飢え死にすることもなく、失業保険をもらうこともなく、何とか生きているわけですが。

誰も自社から入ってくるわけでもなく(ネットワークに対する関心の低さでしょうか)、仕方ないので他社の若手に熱血指導をしておりました。教育自体は好きなんです。理不尽な扱いに怒る理由もそれと多少は関係があるかもしれませんね。通り一遍の説明だけで、ローカルルールだらけの現場の仕事をそつなくこなす新人なんているわけないだろう。しかし、悲しいかなそんな甘えた考えを持つ業界人は案外多いのです。

現場レベルでの入退場の話はもっと細かくなりますけど、書くのも大変だし(どこかで書いた気もする)、複雑だし身バレも心配なので(別に構いませんけど)、気が向いたらどこかで書きます。

僕が会社を辞めたわけ(2)

多少ゴタゴタしましたが、前のブラック会社を退職することができ、YRP業務の上位会社(現場では協力会社ですが)に転職することができました。もう自分を邪魔するものはいない。これで安心して業務に集中できる。と一安心していました。

ところが、平和というものは長く続くものではないのです(ガーーーン)。YRPに勤めて3年ぐらい経った頃でしょうか。この会社のメイン業務の都合で、そちらに飛ばされることになりました。しかも、本来なら会社が別業務で人が足りなくなったので、そちらの僕くんを引き揚げてよいだろうか、とでも言うのがスジだと思うのですが、あろうことか会社が僕くんが今の業務をつらいと言っている、辞めたいと言っている、だから辞めさせます、などと大ウソをついたらしいのです。なぜ分かったかというと、その後の展開(第3回で詳説)で、あの会社の課長さんがそう言ってたよと聞かされたからです。

さて、新しい現場(主業務と言いましょうか)の方はと言うと、あまり細かく書きませんけど、いろいろとエンドユーザと折衝して成果物を提出する、ちゃんとした請負契約の現場でした。SESからの脱皮はいいことだと思いましたけど、リーダーの課長が意識高い系というのかやる気が無駄にあるというのか、とにかく業務量が尋常ではありませんでした。どのくらいかというと相当がんばっても定時には終わらない、日付をまたぐのはデフォルト、明け方近くまで作業することもありました。では、深夜残業含めて相当な厚遇では?いや、深夜勤務になると翌日明け休になるからとか言うヘンな理由で、深夜残業は禁止でした。と言ってもよく聞くブラック企業の残業はありません理論みたいなもので、残業を付けさせないというのが正しい表現でしょう。やはり労基署に密告した方が業界のため(そして後輩たちのため)だったかなと後悔の念に駆られることもあります。

それだけでも問題でしたが、もう1つ自分にとって合わなかったのは多分に営業要素が含まれていたことです。まあ、SESから抜け出すためには交渉力も必要なんだな、営業(つまり御用聞き)スキルも必要なんだということを学びました。その面ではプラスだったのかもしれないと思います。

当然のごとく、テンションはだだ下がりでしたが、給料だけはよかったように思います。それがなければ即ドロップアウトだったでしょう。それでも、自分の営業力、交渉力のなさが露呈し、特にややこしい顧客が相手だとその傾向が顕著に出てしまいました。それ以外の原因もあるでしょうが、とうとう倒れてしまいました。ある朝、起き上がろうとしたら起き上がれないんですね。ああ、これがITの仕事で病むってことかあ。もちろん、会社(正確にはあの課長)とゴタゴタして病院に行って適応障害という診断をいただきました。1ヶ月の休業加療を要すと書かれてましたが、復帰したところで同じ憂き目に遭うことは明らかです。

それでも多少は考慮されたのか(被害を防ぐためと言う理由が大きいでしょうが)、復帰後は多少穏やかな案件に回されました。そちらではなんとかうまくやっていたのですが、問題が起きた案件の方でどうしても人が足りないという理由で、そちらに戻されることになってしまいました。もっともこういう業態では、1人で複数案件を担当することが多いため、1つの案件を外れても別の案件は走っているので、仕事がなくなるわけではないです。他の案件は比較的うまく進んでいたのですが、やはり問題の案件はストレスが過大にかかりました。年下の部下たち(経験年数は彼らが長いのですが)があまり言うことを聞いてくれない、俺たちの方がよく知っているという錯覚から勝手な行動を取るという問題も精神的なストレスを助長していたように思います。

2回目に倒れた時、また診断書を添えてお休みを願い出ようとしましたが、こんなことを繰り返すぐらいならここにいても仕方ないと考えました。余談ですが、一度倒れたあと職場のメンバーたちの態度が急に変わったことも気になりました。悪い方向にですよ。それまでは経験ある先輩という見方だったのが、役に立たねえオッサンという評価に変わっていました。おそらくあのゴミ課長が彼らを誘導したであろうことは想像に難くありません。良くも悪くもカリスマのある人物でしたので、若い人間が彼の思想になびくのは仕方ないことでしょう。

そのゴミ、いや課長からも言われたことがあります。自分が担当した案件の客先担当者からクレームを言われた。1人、2人なら相性もあるが、みんなから言われるのはお前の人間性に問題があるからだと。その言葉、そのままお返ししてあげたかった。自分の私利私欲のために労働法を無視して、無知な若者をこき使い、平然と批判だけを行う。精神を病んでいなければ目にもの見せてやったのに。ついでに言うなら、おそらく(これは自分の空想ですが)客先にバカみたいに高い料金をふっかけるもんだから、先方もそれを取り返そうといろいろ無茶な要求をしてきました。それが影響してるんじゃないのかね?なんだ、やっぱりゴミのせいじゃん。

この無駄にクソ暑いイリーガル上司と付き合っても幸せにはなれない、そういう気持ちでしたし、会社の方もこんな役立たずいらねえという態度でしたので、双方の利害が一致したところで辞めることにしました。病気療養中のため、退職の手続きはあまりやってなかったような気がしますが、お決まりの退職願だけは出したかもしれません。これでも自己都合なのか。そうなると失業保険の支給は3ヶ月待機となりますが、この時点で失業保険をもらわない人にクラスチェンジできましたので、失業保険の手続きは一切してません。

この時は、もうこんな業界なんていても仕方ないから元の業界に戻ろうか、とぼんやり考えていましたが、なぜか昔の職場の人から連絡があり、その人の会社に入って現場復帰(?)することになりました。前の職場で、気心の知れた仲間もおり、これで安泰だと思っていたのですが。(その3に続く)

僕が会社を辞めたわけ(1)

ある時職場の後輩に言われました。「先輩は、なんで前の会社を辞めたんですか?」前の会社ってどれ?いくつかあるんだけど。IT業界に入る前も転職したことはあるけど、それは単に給料が安かったからだしなぁ。細かいことを書くと面倒なので書かないけど、大まかに言えばそうなります。

でもたぶん聞きたいのはIT業界の会社を渡り歩いた(?)理由でしょうから、それをここで書いていきたいと思います。役に立つのかどうか分かりませんけど、何かの参考になればと思い、自分の失敗談を語っていくことにします。みなさんが(このブログを読んでいただいている数少ない奇特な方々にとって)ブラック企業とはいかなるものか、会社の辞め時(見切り)はどうすればいいのか、という手がかりになればと思います。

では、まず他業種からの華麗なる転身を遂げた最初のブラック会社から。その会社は独立系で配線工事(ダークファイバーとか)と某大手ベンダーの下請けをやっておりました。IT経験不問で入れた会社は、当然のようにブラックでした。一口にブラックと言っても何となくのイメージではなく、世間でよく語られる要素を備えておりました。ブラック企業の条件を満たしていたのは、具体的にはこんな感じです。

  • 見なし残業が能力給に含まれる。しかも40時間程度。これは多い部類です。能力給で調整するということは当然基本給は低いです。もちろん総額も低いです。時給単価を計算したら700円程度でした(!)コンビニバイトの方がずっとマシだよ。
  • 毎朝朝礼があり、所長(営業所の長)の前で全社員が当日の予定を発表する。自社待機だとあまり言うこともないが、社内学習というと内容を詳細に説明しろと言われる。
  • 最後に経営理念を社員全員で唱和する。社員心得とか社訓ならまだ分かりますけど、経営理念て経営陣が考えることだろうに。
  • とにかく所長というやつがエラそうにしている。強大な権力を持っているらしく(どうやら取締役らしいです)、たとえて言うなら○朝鮮のエラいお方のように権力を振り回していました。
  • 例えば、出向していた社員が事務所に戻ってきます。彼らは荷物を置くと一目散に将軍様、じゃないや所長の元にあいさつに行きご機嫌を取るのです。なんて分かりやすいんでしょうか!

それだけではありません。こういう会社は基本的に外部に人員を派遣してその上がり(単金)で食うのがセオリーです。なので、社内で待機している人間にはとても厳しいです。その所長も無駄にプレッシャーをかけてきました。本来なら1日でも早く戦力になるよう教育するべきなのに。その尋常でないプレッシャーに初日から相当なダメージを受けていました。この時辞めていれば、こんな不幸に見舞われることはなかったかもしれない、そんな後悔が今でも湧き上がってくることもあります。やたらとトイレで水を飲んでいた印象しかないですね。この時に早くもうつ状態になっていたかもしれないのに、それに気づけなかったのは不覚と言うほかはありません。

エピソードの一つを紹介しておきますと、初日にいきなり今日の作業を日報にして書け、フォーマットは任せるというので、それなりに(自分で考えて)提出しました。ところが、それに対してなんだこれは?ふざけてるのか?などというリアクションをするのです。社内で一定のフォーマットがあるならそれを提示するべきなのに、いきなり何も無い状態から書かせて、出来たものをバカにする。これが彼らにとっての教育なのかもしれませんが、どう考えても異常です。

自分は、1ヶ月程度の飼い殺し状態(事務所での軟禁)を経て配線工事部隊に配属され、それなりに業務をこなしていました。未経験なので、言われるがままに手伝うだけでしたけど。それと並行してCCNAなる資格があり(当時のCCNAは簡単でかつて存在したCCENTぐらい)、それを取れと言われ必死に勉強した結果、なぜか合格できました。それが地獄からの脱却につながったように思います。ちなみに社内のセミナー、勉強会と言うものはなく、元請けのベンダーからもらった問題集ぐらいしか教材はありませんでした。当然教えられる人もいません。社内にCCNA(当時)ホルダーが一人いたとは聞いていましたが。

それでも、がんばった結果奇跡的に合格することができました。当時は関西にいましたが、関西ではCCNAも珍しい存在、CCNPなんて神様扱いでした。そうすると所長に声をかけられました。お前、YRPを知っているか?知らねーよ、そんなもん。それは関東にある某携帯キャリアの研究施設でした。付き合いのある会社がその研究施設の業務のツテを持っているから、面談に行ってこい、MPLSとかいう技術が必要らしいから勉強しろ、と言われました。察しが付くと思いますが、あの事務所にはそんな高度な技術を教える人もいないし、適当な教材すらありません。

さらにひどいのは、受け入れ先の会社が東京にあるからお前一人で行ってこいと言われたことです。普通こういうのって営業が付き添ってくれるんじゃないの?あ、この会社営業はいないんだ。というわけで一人淋しく新幹線に乗り自由席の座席を確保し(東京~新大阪間の新幹線のぞみで自由席を使わせる会社はブラックと断じて間違いないです)、東京へ乗り込みました。自分が旅慣れた人間であることをありがたく思ったのは言うまでもありません。地図を頼りに元請けの本社を訪問し、本社の事業部長以下エライさんの前で面談を受けました。ですが、それはあっさり通ってしまい、後はネットワーク部門の課長に業務説明などを受けました。そして、意外にもあっけなく関東転勤が決まりました。

さて、転勤で問題になるのは住居です。最初は自社の持っている寮アパートの管理人室を4人で共有するという劣悪環境)の話もありましたが、結局元請けも社員寮を持っているということでそちらに入ることができました。そこはトイレ、風呂は共同でしたが個室が割り当てられ、それなりに快適な住まいでした。

さあ、いよいよYRPでの生活が始まりました。CCNA(昔は簡単だった)を取得しているとは言え、ほぼ素人状態であまりに高度すぎる業務内容に混乱しておりました。よくクビにならなかったなと今でも不思議に思いますけど、当時から人手不足だったのではないかと思われます。それでも、(いろいろ怒られながらも)どうにか日々を過ごしていました、というよりはクビになってまたあの暗黒の関西の事務所に戻りたくない、そんな一心で必死にしがみついていたという表現が適切でしょうか。

そうやって、半年が過ぎました。ほぼ素人の状態からそれなりに分かった感じの人にレベルアップした頃、自社は新たな刺客を送り込んできました。あいつでもできるぐらいだから、そんなにレベルは高くないだろう。そんな本社のふざけた評価がうかがい知れます。年が明けて1人目の刺客がやって来ました。当然ながら自分が入った頃に近いド素人です。ちなみに彼は東京の支社から来たそうです。なんだよ、自分はわざわざ大阪から送り込まれた人柱だったのかよ。

その1人目(仮にA氏と呼んでおきます)は、CCNAは持っていたようなのですが、YRPでの過酷(?)な業務に1ヶ月ぐらいで音を上げてしまいました。「僕にはもう無理です!」結局代わりが見つからないとかいう妙な理由で3ヶ月ばかりは居続けましたが、かなりつらそうでした。そして、2番目の刺客(B氏としておきましょうか)が当地にやってまいりました。これは前任者に輪をかけて頼りない男でした。前任者はそれなりに評価されていたのですが、今度来た男は元請け(現場)のプロパーに「あいつは大丈夫なのか?」と心配されるような状態でした。これまた、自分のせいでしょうか、現場をなめきった男でろくに業務を理解してないようでした。親しいプロパーに印象を聞くと、教えたことは理解してるがいかんせん基礎ができてないので、知識が断片的でまとまっていないとジャストミートな正論を言われてしまいショックを受けたことを覚えています。

そのB氏も2ヶ月程度で終了となってしまいました。居住地があまりに遠く、家賃補助が出るから近くに引っ越せとアドバイスしても聞く耳を持たず、作業中でも終電がありますからと平気で帰って行ったようなやつでしたので、当然の結果でしょう。そうして追加人員が次々とつぶれていき、所属会社への不信感も増してきたところで、受け入れ会社(ややこしいのは承知ですが、現場では協力会社です)からウチに来ないかとオファーを受けました。今の会社よりは当然条件もよくなるし、有形無形のパワハラからも解放されます。2つ返事で了承しました。そうして、関西のブラック企業からついに卒業(脱出)することに成功したのでした。

この仕事はきついです、自分には無理でした。ですので、この業界も辞めます。そのように自社の担当営業(的なポジションの人)を通じて話をしました。課長はハッキリ言って頭が悪いし、話が通じないのでなるべく関わらないようにしました。担当営業(的なポジションの人)はこのブラック企業にはもったいないいい人だったのですが、今後を考えお別れすることにしました。最後にアホの課長が、帰ってきて所長にあいさつしろなどと言ってきましたが、華麗にスルーしておきました。今さら話すこともないし、精神衛生上デメリットしかないことをわざわざする必要なんてないですよ。

あの会社に入ってよかったこと?中途未経験からIT業界に入れたことぐらいですかね。結局入口はブラック企業しかなかったけど、他に道がなかったのでやむを得ない選択ではなかったかと思います。ただ、早々に実力を付けて泥沼から脱する必要も感じました。

ブラック企業の見分け方?

最近あるブログで見た話ですが。共感する部分もありますので、ここでお話させていただきたいと思います。

ジャンルが限定されてしまいますが、自分が関わっているIT系企業に関するお話です。他業種ではこの話がそのまま通用するかどうか分かりませんが、ある程度は参考になるものと思います。

IT系企業というのものは大きく分けて2つあります。1つは自社開発など請負、もう1つは客先に人を貸し出すいわゆる派遣というものです。派遣と言っても、一般的な派遣業のように所属は自社にありながら、あたかも客先の社員の如く振る舞うものや、自社が案件を受注していながら実質客先での勤務体系に従って働くものもあります。

そのブログでは、小規模(エンジニアが30人以下)の企業で、自社開発を行っていないところはブラックであると断言しています。それは言い過ぎでは?と思いつつも、実態としてそういうところが多いのも事実です。自社開発であれば、元請けから案件単位で受注して、それを社内で割り振りしながら仕事を進めます。成果物に対して報酬が支払われるので、それは真っ当なビジネスだと思います。しかし、客先に人を貸して、月いくらと言う区切りで単金(月あたりの報酬)が支払われるのでは、実質派遣です。そうなると、自分がもらえる給料は、(元請けからもらった単金)ー(中間会社のマージン)×α ー(自社の収益)となってしまいます。現場となる大企業から直接取引をできる零細企業なんてまれで、たいていは中間に何社か挟まります。挟まった企業が自分の利益を確保するために、いわゆるピンハネをするわけですね。じゃあ、末端に届くお金はいくらなんだ?って話です。

もう1つの条件として、社長が元エンジニア、またはエンジニア経験がないところはブラックの可能性が高いと言います。経営者がエンジニア経験を持っていれば、エンジニアの苦労を知っています。ぞんざいに扱うことはないでしょう。ところが、社長が営業の人間だったらどうでしょう。過去の経験上ですが、営業はエンジニアを金儲けの道具としてしか思っていません。昇給、ボーナスなどを採用の条件に掲げながらも、いざ入ってみると今期は業績がちょっとねーとか言ってはぐらかされてしまうのが現状です。営業にとってエンジニアは金を咥えてくる忠犬なのです。文句も言わず、毎月決まったお金を咥えてくればそれで目的は果たしています。客先にうまいことを言ってスキルの怪しいエンジニアを放り込み、現場から文句が出なければそれでミッション完了です。あとは、エンジニアが現場でどんな扱いを受けようとも、毎月決まった額のお金が入ってくればそれで会社としては目的を果たしています。

エンジニアとしていい仕事をしたい、ただ搾取されるだけの存在になりたくない。そう思われるエンジニアの方は、上記の点に注意してください。社長または採用担当者がエンジニア経験を持っているか。それはとても重要なことです。自分が雇われる相手がエンジニアかただの営業かによって、エンジニア生活は全く変わってきます。自分も以前は営業というのは仕事を探してくれるありがたい存在だから、あまり文句言わない方がいいかなと思っていました。ですが、営業の本質を知った後は見極めることが大事だと悟りました。今の所属会社は、社長が元開発エンジニアですし、営業にもエンジニア経験者がいますので、昔のような金儲けの道具扱いということはなくなりました。

大事なことは何か。それは会社のエンジニアに対するリスペクトではないかと思います。エンジニアに対するリスペクトがない会社というのも、悲しいですが結構あります。求人票に書いていることがウソだったり、希望年収を大きく下回る条件を提示してきたり、それはエンジニアを侮辱する行為ですから、そんな会社に入っても幸福になれることはないでしょう。売り手市場なんて言葉が使われて久しいですが、あとは我々エンジニアの心持ち次第だと思います。くれぐれも、エンジニアを搾取するブラック企業に入らないことを願います。