ご報告

なぜか理由は分かりませんけど、どうやらまだ生きてるみたいです。それは決して喜ばしいことではないですが。むしろ、決断力のなさを非難するべきなのでしょう。

いろいろあって延びているということもありますけど、それ以外にあなた方の反応を確かめたかったというのもあります。生きることに絶望し、自ら死に向かってゆくものに対して、世界は何をするだろうか?コメントの一つでも来るかと微かな望みを持って眺めていましたが、世間は期待を裏切ることはなかったです。

いわゆる知り合い連中からも結局何も反応はありませんでした。そうですよね。世間やゴミ政府が命がどうとかゲートキーパーがどうとか言っても、そんなものはくだらない幻だ、現実に存在するはずがない。最近電車に乗っていると、発車案内とかの余白とか車内広告とかでゲートキーパー何たらとか、心がモヤモヤしたら周りの人に相談しましょうとか、意味の分からないことを垂れ流しています。あれって本気なんだろうか?貴重な血税を注ぐにはあまりに無駄ではないだろうか?ここのサイトでも完全放置されています。世間は自殺の増加に関心を持っているのだろうか?そうではないですよね。もしそうなら、何かリアクションがあって然るべきだと思います。

昔のACのCMだったかな?「命が大事と100回言われるよりもあなたが大事と言う方がいい」へー、そうですか。自分はそんなこと今まで言われたことなかったな。自分が生きている限り、というよりそこに存在しているからという理由で都合よく利用する輩は多かったけど、自分の苦しみに寄り添い助けてくれる人はいなかった。そして今もそんな人はいない。生きる気力を奪う者は掃いて捨てるほどいるけれど、生きる勇気を与えてくれる人はいない。それがこの世界の現実です。世の中の自殺者が増えることはあっても減ることはないのも当然のことですよ。最近は特に若年層(小中学生)の自殺が増えているというではないですか。つまりそういう世界なんですよね。

自分もまだ現世におりますけど、このままだと死ぬ死ぬ詐欺の誹りを免れることはできない。今はたまたま業務も比較的よい所に落ち着いているので、ここで消えると申し訳ない。なので、この後あのふざけた部署に異動させられそうになった時がベストのタイミングだと思っています。ろくな説明もせず、分からない業務を押しつけて、あまつさえ仕事が遅い、マイクロマネジメントで貴様を管理しなければならないとほざきやがったゴミクズ野郎の顔はきっと地獄でも忘れることはないだろう。

後は同じことの繰り返しになるから書かないですけど、おうちで静かに首を吊るような腰抜け野郎のような振る舞いはしない。ちゃんとお世話になった世間に対して精一杯のお礼を尽くしたいと思っています。でも、最近ご近所からもうるさいことを言うヤツがいるから、彼らのために硫化水素か何かで思い知らせるのもいいかな。そう思うようにもなりました。なんにせよ、静かにこの世界を去ることはしない。必ずこの腐れきった世界のウジ虫どもに目にもの見せないと死ぬ意味がない。そう考えています。結果が楽しみですなあ。

補遺

今までの拙文において、なぜ自分が自らの命の終焉を決めたのか。ここで死ななければならないか、述べてきたと思います。ですが、これは急に思いついたものではありません。前々から考えていたことなのです。

生涯未婚者と言われる50代が近付く昨年末~今年の年始にかけて、いつものように実家に帰っておりました。特にいつもと変わりのない年末年始でしたが、この時に実家でテレビを見たりゴロゴロと酒を飲んだりしながら、もう二度とこの場所に帰ってくることはないだろうと考えておりました。両親や妹やその旦那さんを見ながら、ここで別れの挨拶も微妙な空気になるだろうからと控えはしましたが、今更彼らに別れの言葉とか感謝の言葉を述べるまでもないだろう、それほど大切にされてもなかったよね?という思いがあったので特に何も言いませんでした。特に妹夫婦については、一度女性を紹介してもらったその時に扱いがあまりにひどくてトラウマレベルでしたからね。ろくでもない相手を紹介され、それにもかかわらず報酬を寄越せと言ったあの傲慢さ、きっとあの世でも語り草になることでしょう。

アパートに住んで10年以上たち、エアコンなどの家電製品も老朽化していろいろ問題がありました。本来なら耐用年数10年以上のものを購入すべきでしょうけど、どうせ2年以内には消える命だからそんなに高いものはいらないよね、と考えて比較的安価なコ○ナ製のエアコンを購入しました。P社とかH社とかD社のいいエアコンは本体だけで10万円くらいかかります。10年使うならそれでもいいのですが、そんなに使わないから安いのでいいだろう。その判断は我ながら適切であったと驚くのでした。

あと、10年以上使っている家電で買い換えても良さそうなものはありますが、動いている限りは使おうと思っています。もし、この50歳という節目を乗り越えて、その先の10年の展望が見えたなら、その時には必要な投資をして家電を揃えようかと思います。でも、今はまだそうではない。遅くとも今年中に始末をしないといけないという予定の中で不必要なものを買うべきでない。そう思っています。

もうすぐ取り壊す家にリフォームなんてしますか?廃止が決まった路線の駅舎を新しく建設し直しますか?もうすぐこの世界から消え行くおっさんに設備投資する意味って何ですかね?

古来孔子は50歳を知命と呼びました。自分の宿命、命というものを知るという意味です。そして、僭越ながら自分も50歳になって自らの命の限界を知りました。もはやこの先に道はない。即ち人生の終着点であると。言い方を変えれば人生のコールドゲームです。このまま結婚もせず(結婚したってもはや生涯未婚者にカウントされるので、世間的に結婚したとは言いがたい)静かに朽ち果ててゆくのが自分の運命である。それを受け入れなければならない。

この後は現世との惜別と思い出作りのためにちょっと大きな旅をします。それが実質人生の終焉となるのでしょう。時期的にはあまり遅くなると年賀状の季節になるので、それまでには決着を付けたいです。最期はお世話になったK県の某研究施設に向かう路線に身を投げて、自分の存在を知らしめようと思います。自死を選ぶと言うことは当然その手段だって確立しているわけです。自宅で首を吊ったり、塩化水素ガスでも発生させて中毒死するのも一つの方法なんですけど、それじゃあ特殊清掃の人が大変じゃないか、何より大家さんが困ることになる。大家さんにはよくしてもらったので、迷惑をかけたくないです。ならば、鮮やかに事故物件になるよりはただの居住者失踪の方がダメージが少ないのではと考えているのです。

え?鉄道に飛び込んで死んだら遺族に多額の損害賠償が請求される?そうですか。そうなりたくないのなら、今までからそれを回避する方法は腐るほどあったと思うんですけどねえ。これは彼らに対する制裁でもあるのです。散々お世話になった某研究施設(おかげでかなり心は荒みました)へのお礼もしないといけない。かつて、目的地に到着する前の電車内で地元の高校生が大量に乗ってきて通路やドア付近を塞いだりいろいろ迷惑だったので、そいつらをぶっ飛ばしてやったこともあるなあ、とりあえずドア付近でぼーっと立っている馬鹿どもには正義のショルダーチャージで世界の常識を教えてやった。そういう所なんですよ。神奈川の辺境Y○Pという場所はね。

実は先週、うつ病というかうつ状態及び適応障害の治療を受けているクリニックに行ったのですが、いつものようにお変わりないですね?の一言で片付けられました。ここで大丈夫ですか?何かお悩みはありませんか?と聞かれたら状況が改善したかもしれないのに。ゲートキーパーって何ですか?ポンコツゴールキーパーのことですか?

そうですね、鉄道会社の方には本当に申し訳ないと思ってます。だが、お世話になった職場に最期のお礼を述べるには避けられない手段なのです。この現場は10年以上いて心が荒み、人生に絶望を感じる原因となったのですから。まだこれで出会いがあればマシだったんですけどね。そんなものもなかった。オッサンだらけの職場でパートナーを見つけることは困難だった。男に行くほど悟ってもなかったですね。

いのちの電話の相談 フリーダイヤル相談

繰り返しになるけど、借金を全て解消してくれて嫁さんを紹介してくれれば思いとどまってやる。そんなことはできないだろうけどね。

終局

ずいぶんと無駄な人生を送ってきました。そしてついに年齢は50代に入ってしまいました。ここまでに結婚するとか、もしくはそれに近い状態になりたかったですが、結局ダメだったわけです。別に結婚願望がないということではない、逆に独りでいることの意味を見いだせないタイプなのですが。

普通の親って、子供の行く末を案じて釣書なり何なり持ってきて、それなりに出会いをサポートする、または強制的に結婚させるものかと思ってたのですが、自分の親についてはその点かなり無関心で、そういったことは全くありませんでした。逆に紹介して失敗するとその人のせいにされるから、などと名言をおっしゃる始末。自分でもいろいろ探して手を尽くしたのですが、結果が思わしくないので恥を忍んで妹にも助けてもらおうと思ったのですが、やはり同じ反応をされました。そういうところは親子だな。よく似ている。

そうやって、時間を無駄に過ごしてきて、ついに年齢も大台に乗って、この先に希望もない。なので、この世を去る決意をしました。正直これ以上生きている意味はないし、生きてる苦痛が多い世界には長く居たくないです。周りの人々は、放っておけば人はいつまでも生きてるものだと甘えているようですが。不慮の事故がなければ、ずっと生きているのか。そうでないことを証明する日が来たようです。

趣味は多いけど、それは生き甲斐ではないし、生きる苦しみの方が多い。ちょうどいい時期だし、この後最後の思い出にこの時期にしては少し大きめの旅でもしてそれから静かに死んでいきたいと思います。いのちの電話なんて何の役にも立たんな。やる気のないボランティアに愚痴っても何も解決しない。もし死んでほしくないのなら、借金を返済して嫁を紹介してもらいたいです。今までであった女性は、たいてい1ヶ月以内に居なくなるか、そうでなければかなりの金銭を負担させるか、そういうタイプしか居ませんでした。クジ運なんでしょうか?それにしては悪すぎる。ゲートキーパーwwwってなんなんですかね?うちのゴールはガラ空きだよ。周りに人を見てもとても助けるような感じは見られない。勝手に逝けよと言わんばかりです。そうですか、じゃあそうさせてもらうわ。

今までお世話になった、というかお世話をしてきた人が訝るといけないので、ちゃんと遺書も書きました。そこに彼らへの忌憚のない言葉を綴っています。ただ利用するだけだった人、無関心だった人に向けて、なぜ自分が死ななければいけないのか、その理由も分かるように書いたつもりです。納得するかしないかは知ったことではないですが、表現に齟齬のないように気をつけて、心を込めて最後の言葉を書きました。自分が死んだ後の始末は、まあ任せるわ。よく、生前の恥ずかしい過去を消したいとか、パソコンは死んだら初期化して欲しいなんてネット上でのコメントも散見されますが、死んだら後がどうなろうと自分には何の影響もないのだから、むしろありのままを見てもらった方がいいのではないでしょうか。

この後もしも奇跡が起きて、死なずに済んだならそれはそれでいいことだと思いますけど、そうなる可能性も低いのであまり考えない方がいいでしょうね。

 

 

 

 

 

 

もしも、運がよければ(悪ければ)生き続けているのかもしれませんが、どうなんでしょうね。