アドラー勉強中(補足)

アドラー心理学(心理学なのかな?)というのはなかなか面白い考え方だと思います。賛否両論はありますけど、ストレスにまみれた現代社会において、生き方の指針とは言わないですが、ヒントにはなると思います。

なんか忘れてるなと思ったんですが、ようやく思い出しました。アドラーの唱える説は、フロイトの原因論に対して、目的論と呼ばれています。フロイトの原因論は、今の状態は過去に原因があってそれが現在に影響している、という考え方です。幼い頃に不幸なことがあった、家庭環境が悪かった、就職したけど会社に馴染めず辞めてしまった、だから引きこもりになったという考え方。一方のアドラーが主張する目的論では、過去に注目しません。引きこもっているのは、本人の引きこもりたいという強い意志、外へ出てまたイヤな思いをするぐらいなら今のままがいいという強い決意、後は家にいれば親が心配して構ってくれるので楽です。

ここでは、便宜上引きこもりを例にしてます。引きこもり問題については思うところはありますが、ここでは関係ないので書きません。さらに続けると、引きこもっているのは外に出たくない、今のままで変わらないことを決意したからである。他の人に会うのが怖いとか、家から出ると気分が悪くなるというのは原因ではなくて、家にこもることを目的とした算段である。引きこもりを正当化するために、他の人に会うと恐怖を感じたり(という感情を作り出し)、外に出ると気分が悪くなる(という感覚を作り出している)。というのがアドラー的な見方です。これまた賛否両論ありそうですけど。

ですが、最近の事件を見ると、つまり引きこもっていた人が事件を起こしたり、逆に親にけじめを付けられたりする件を見ると、原因論ではなく目的論で考えた方が納得しやすいように思います。事件や騒動を起こすのは、過去の出来事が原因でしょうか。それなら、なぜ今頃騒ぎを起こすのでしょうか。事件を起こすのは、今それをしたいという目的に突き動かされたからに違いないでしょう。まさか、過去に時限スイッチがセットされて何年何月何日に事件を起こせとプログラムされていたとか言う人はいないと思います。

フロイト的な原因論ではいまいち説明が弱かったことも、アドラー的な目的論で捉えれば、納得いくことも多いです。特に昨今の引きこもりの問題については。そして、目的論で考えることが引きこもりの問題を解決するより適した方法なのではないかとも思います。

さて、最後に(今度こそ最後です)Nさんの不可解な行動を振り返りたいと思います。もうSNSはブロックされたままなので、伝える手段がないんですが。全くないわけではないのですが、もう連絡してくんなと言われたのでお手上げです。
曰く
・「嫌われる勇気」を読み終わったのなら、こちらに送れ(お前はブッ○オフか?)
・(アドラー心理学についての書籍の検索リンク(Googleページ)を送り付けてきて)この中から適当なものをチョイスして教えろ。私は忙しいんだ。

もう、どこからツッコんでいいか分からないぐらい意味不明です。こちらも、動画サイトの10分動画なんかを見て興味を持ったので、それでも見たらどうですか?と比較的親切な回答をしたのですが、少なくとも感謝はされなかったようです(-_-;)本は電子書籍で買ったから送れないよ~ん、と伝えたかったのですが、その前にブロックされたので、万事休すです。

アドラー勉強中(完)

アドラー心理学について、まとめようとしたんですがここまで全くまとまっていなかったことをお詫び致します。

前回までいろいろ書きましたけど、幸せになるためには自己受容、他者信頼、他者貢献が必要であるというのが、まず前提としてあります。では、自分は幸せなのか。それは今を考えることが大事です。まだ目標を達成していないから幸せではないのかと言うとそうではない。昔の偉い人の伝記などを読んでいると、何歳の時に研究を始めて、何歳で会社を興して、何歳で大きな業績を上げたとか出てきますけど、では一定の成果を上げるまでは人生は未完成なのか、自分はまだ何も実績がないから人生が始まってないのか。

ストーリー的に見ればそうなんでしょうけど、自分の未来は分かりません。ストリーで捉えると、翌週に大学受験があるけど、その前に病気で倒れて試験を受けられなかったら、人生終了することになるのかもしれませんが。自分の人生というのは分からないものです。一寸先は闇という言葉もあるように、明日何が起こるかは分かりません。人生設計を完璧に組み上げて、その通りに人生を送れるなんてことはあまりないでしょう。アドラー的には、過去から現在、未来という流れではなく、今ここ(Now and Here)の点に注目します。人生は線ではなく、点の集合体であり、いまここで自分の人生は完結している、と考えます。自分の人生はまだ始まってないとか、たいした成果もないから中途半端だとか考えません。

ここで注意したいのは、いわゆる刹那主義というやつとは違うということです。刹那主義というのは、明日は分からないからもうどうでもいいやと、人生をいい加減に送ることです。しかし、アドラー的な考えでは今日1日何か(勉強とか仕事とか)をやった、その連続によって人生が形成されてるということになります。受験勉強でいうと、1日の勉強は即受験に直結はしないけど、分からない問題を解けたら嬉しいものです。模試で順位が上がったり、志望校判定が上がったら嬉しいですよね。そういう日々の連続の先に受験があるという考え方です。

フロイト的な原因論だと、あの時問題集を解かないで寝たからとか、夏の高校野球を見てしまったからとか、受験の直前に言い訳するのでしょうが、アドラー的思考だと過去は考えません。入試を受けるのは今の自分なのですから、今の自分を信じるしかないです。

最後に、人生にどんな意味があるのか。ありません。アドラーは、一般的な人生の意味はないと答えています。人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ、とも言っています。意味付けというのも結局他人の話なんですよ。お前の人生は空虚で無意味だ、と言われたら知らねーよと無視しましょう。他者の人生に引っ張られない、自分の人生を生きる、それが自由というものらしいです。ただ、自由と言われてもどうしてよいか分からない。そうですね。ですので、アドラーは「導きの星」というものをあげています。つまり、暗闇の中でも見上げれば星がある(例えば北極星みたいな)。それを目指していれば道に迷うことはないでしょう。その目標が他者貢献なのだそうです。

アドラー心理学に出てくる話というのは、一見バラバラなように見えて実は全てつながっています。それを理解するのはかなり大変です。自分でも、もう一度本を読み直してしっかり理解しなければいけないなと思います。お手軽な動画じゃあまりよく分からない。

今回もNさんのエピソードですが。ある時Nさんに旅行中の写真を送ったんですが、食事が地元の名物でなく吉○家だったことに激怒されました。「どうして君はそんなどこでも食えるものを選ぶんだ。旅行したら、地元の名産品を堪能しなければならない。」そうおっしゃいました。他者への介入半端ないです。これも、本当に自分と他者の課題の分離ができていない好例ではないかと思いました。なぜ、自分が地方の名物でなく、チェーン店を利用するのか。旅行のスタイルの違いもありますし、他にも理由はあるんですが、それをいちいちNさんに説明して同意を得る必要はないと判断しました。一緒に旅行していて、ひつまぶし食わせろというのなら、まだ理屈は通りますけど。同行しているなら、他者ではなく自分の課題ですからね。

アドラー勉強中(3)

アドラー心理学について、珍しく本を買って(いつもなら動画サイトとかまとめサイトで済ませるところですが)真剣に勉強しようとしています。面白い理論(または思想)ではありますが、やっぱりちょっとクセがあるような。

根底にある考え方は、世界は変えられるということです。といっても、革命を起こして世界を変革するとかそんな大げさなものではなく、世界の見方を変えるということです。つまり、主観的な考え方ですね。そして、人は今すぐ幸福になれる。これも主観的な話です。今の世の中を見て、なんとひどい世界だろうと悲観するか、何とか生きられてるからいいかと思うか。

ちょっと話がそれますが、ブータンは幸せの国といわれています。それは国民の幸福度(幸福だと思っている人の割合)が高いからだといわれています。かと言って日本よりも豊かで満たされているかといえばそうでもないようです。治安がよいわけでもない。それでも、多くの国民が今の生活が幸せだ、満足だと思えば、幸福度は高くなるわけです。つまり、幸せって主観なんですよね。そこにヒントがある気がします。アドラー心理学で今すぐ幸せになれると説く人は、みんなが今すぐ億万長者になれる、異性にモテモテになるとかいう意味で幸せになれるといっているわけではないです。

では、何故に人は幸せになれるのか。それに関わるキーワードがあります。自己受容というものです。つまり、今の自分を受け入れるということですね。ビンボーでもモテなくても140km/hのナックルカーブが投げられなくても、自分を受け入れて自分の存在が価値あるものだと思う。もう少し細かく言うと、「自立すること」と「私には能力があるという意識」となるそうです。それを助けるのが他者信頼、そして他者貢献なのです。

ちょっと話が長くなるのを覚悟で書きますけど、他者信頼は文字通り他者を信じること。と言っても、もちろん中にはイヤなやつはいます。自分を認めず、何かとバカにしてきたり、自分の功績を評価しない人。そういうのは無視します(断言)。イヤなやつは無視して、仲良くなれる人を大事にする、その人を中心に考えれば、自分の敵になる人って案外少ないことに気付きます。自分の信頼が置ける人、邪魔をしない人を中心に据えれば、他者信頼は実現できます。他者信頼のためには「社会と調和して暮らせること」、「人々は私の仲間であるという意識」が必要です。

それができたら、次のステップである他者貢献になります。他者から感謝されたり賞賛されなくても、共同体(学校とか職場レベルでよいです)で他者に貢献できること。目に見える効果がなくても、周りの人に「ありがとう、助かるよ」なんて言われなくても、共同体の仲間にプラスになることができれば他者貢献は実現できています。やや自己満足に近いかもしれませんが、実現しているのです(キッパリ)。ちなみに、本の中では例として専業主婦の事が書いてありました。旦那が食器の片付けを手伝ってくれない、子供はとっとと自分の部屋へゲームしに行く、なんで私ばっかり家事をやらないといけないの?と思うより、私は感謝されなくても家族のために貢献できている、そう考えると怒る気持ちはなくなるとか。どうかな?全国の専業主婦が抗議してこないか心配だな。

また、学校や企業の人間関係に悩んでいる人に言いたいことは、共同体をもっと大きな枠組みでとらえようと言うことです。例えば、学校の先生がとても偉そうだ、職場の上司が絶対的な権力を持っている、と自分を取り巻く環境が問題を抱えているとします。しかし、待ってください。学校の先生が威張れるのは学校の中だけ、職場の上司が横暴を働けるのは会社の中だけです。特に社会人になったら、合わない職場なんて辞めてしまえばいいのです。これは自らの体験も含まれますが、会社の経営方針がおかしい、上司の頭がおかしい、正社員なのに給料がコンビニバイトより安い!そういう会社からは抜け出すようにしてきました。退職届を叩きつければ、頭のイカレた上司との関係はそこでおしまいです。

前に、人間関係を縦の関係で見てはいけないという話をしました。そこから派生する考え方は人を褒めてはいけない、叱ってもいけないというものらしいです。じゃあ、どうするんだよ?という疑問は湧いてくると思います。そういう時は感謝の気持ちを述べます。つまり、ありがとうとかそういう言葉ですね。ありがとうという言葉は対等であり、そこに対人関係の順列を作るものではない(つまり横の関係)。それがアドラー心理学の主張です。それで相手に伝わるのか?もう1つアドラー心理学のキーワードがあります。それは、勇気づけというものです。感謝の言葉を述べ、相手にあなたは共同体に貢献している(他者貢献できている)ということを認識させるのです。それが生きる勇気につながっていく、そういうことらしいです。

自己受容、他者信頼、他者貢献を順番に書きましたけど、そういう順番に並んでいるのではなく、これらはお互いにつながったものです。自分の能力を意識し、周囲の人を敵ではなく仲間だと思う、そうすればこの世界に自分の居場所はできる(共同体感覚)、そして仲間のためにできることをして役に立つ(他者貢献)ということになります。

もう1つ、アドラー心理学で出てくる言葉に「人生の嘘」というのがあります。これは、何かと理由を付けて人生のタスクから回避することだそうです。ちょっと話が前後してしまいましたが、フロイトの提唱する説は原因論、つまり過去に原因があって、それが今の自分を形成しているという考え方です。アドラーはそれにまともに反対しています。アドラーの説は目的論と言われています。過去は関係なくはないが、それが原因ではない。過去のことに対する意味付けによって現在は変わる。自分が不幸なのは過去に問題があったからではなく、それを言い訳にして変わらない決意をした、(それは変わることを恐れているから変わらないという目的による)からだと主張しています。

自分が不幸なのは、子供の頃の家庭が貧しかったからだ、両親が小さい時に離婚したからだ、就活したのが就職氷河期だったからだ、と過去に原因を求めて、現状を納得させる人もいる。じゃあ、同じ境遇の人はみんな同じように不幸なのか?同じように悲惨な人生を送っているのか?そうではないはずです。過去の出来事が原因となるのではなく、そこにどんな意味付けをするかで現在は変わるというのがアドラーの主張です。過去に囚われずに幸せを目指すために必要なのが勇気なのです。現状を変えることを恐れず、幸福に向かって進むための勇気です。

長くなってしまいましたが、最後にNさんの迷言を一つ。「アドラーは承認を否定している。だから私は君を承認しない。」などと意味不明な発言をされて、リアクションに困ったことがあります。やっぱり理解してな(ry ちゃんと書いておくと、アドラーは承認欲求を否定しているのです。承認とは他人がするものだから、それに囚われると他人の基準に合わせることになり、他人の人生を生きることになる。つまり、他人の意見に振り回され、自分を失うということになりかねない。基準はあくまで他人ではなく自分であり、理想の自分が目標です。ピアノが上手に弾けなくてもいい、100mを9秒台で走らなくてもいい、日本の元号を大化から令和まで丸暗記しなくてもいい。自分なりの目標、理想があるはずです。それを目指せということなんですが。

一応読み終わったので、次回はまとめを書こうと思います。まとめにならないかもしれませんけど。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

アドラー勉強中(2)

本を読み進めてみて、このアドラー心理学というものがかなりクセがあるものだということを次第に実感し始めています。なるほど、万人受けするものではないけれど、それでも真理はある程度あるのかもしれません。

アドラー心理学のキーワードの1つとして共同体感覚というものがあります。英語ではSocial interest(社会的な関心)というらしいです。ここでいう共同体とは、いわゆる地域社会、さらには小さな単位として職場、学校、さらには家庭などのコミュニティという印象が強いですが、アドラーの考える共同体とはもっと大きなものです。分かりやすくいえば、この世に存在するもの全て、宇宙を指すらしいです。また、空間だけでなく時間的な広がりもあります。すなわち、過去から未来までを含んだ世界。つまり、時間的にも空間的も無限に広がった世界を共同体と呼ぶようです。この辺りでもう脱落しそうですけど。。。

アドラー心理学の出発点は自分と他者との課題の分離でした。他人の言うことを気にせず、自分の課題に取り組む。他者と比べるのではなく、理想の自分と比較することで成長する。そこからのゴールが共同体感覚だと言います。なるほど、分からん!共同体感覚とは共同体において自分が如何に貢献できるか、そして共同体の中に自分の安らげる場所を見つけるということらしいです。そのためには、他者を敵ではなく仲間だと見なすこと、その仲間に自分がどう貢献できるかを考えることが大事だと、アドラーは説いています。

ここで仲間に貢献するというのは、彼らに有用な行動を取って感謝されるということに止まらず、存在そのものを貢献とする。つまり、仲間(家族や友人関係)において自分が存在することで彼らに貢献する。よく分からないです。ただ、自分が病気になってベッドにくくりつけられる生活を送っていたとしても、周りの人は自分が生きている、無事でいることを喜んでくれるはず!そういうものが存在による貢献だそうです。かなり宗教色を増してきましたか?

それと、対人関係については横の関係を持つこと。縦の関係を持ってはいけないというのもアドラーの主張です。典型的な縦社会の現代社会において、何言ってんだコイツという気持ちもありますけど、上司と部下、先輩と後輩という縦の関係を意識すると、友人関係でも縦の関係を持ってしまう。つまり、あいつには勝ってるけど、こいつには負けてるな、とかAくんは頭がいいから言うことを聞こう、でもBくんはバカだから適当に無視しようとかそういう考えが、縦の関係を持つということらしいです。そして、縦の関係で人間関係を見てしまう人はあらゆる関係を縦の関係として見てしまう。そうではなく、全ての人を対等に見る(平等ではなく対等という概念はよく出てきます)ことによって全ての人を横の関係で扱う。それが、共同体感覚というものだそうです。

うーん、にわかに受け入れがたい、いや理解が難しい概念が登場しました。しかし、相手が上司であれ、社長であったとしても、「いや、オレはこの方がいいと思います。こうするべきだと思います」と主張する人は、横の関係を構築することができている人なんでしょう。心理学というより、1つの思想、自己啓発的なニオイすらしますね。

あ、余談ですけど、あのややこしいNさんがやたらと主張してきたことは、どうもSNSでアドラーとググった時に出てきた言葉を、何も考えずに貼り付けていたようです。しかも、これがアドラーの本質だ!などと豪語されていました。コピペするにも、元ネタがバレバレのことをするなんて。真面目に勉強している人に対して失礼だとは思わないんでしょうか。是が非でも自分を押さえつけてやろう、オレが(Nさんが)自分の上位に立つんだという執念は感じました。ただ、やり方があまりに浅薄だとバレやすいし、印象を悪くするだけではないかとも思いました。NさんがSNSをブロックするのをやめてもらわないと、こちらの主張は一切届かないので、どうすることもできませんけど。アドラー心理サロンのありがたい言葉をコピーしたって、一時の感銘は得られても本当に理解したことにならないのでは?いや、その前に感銘を受けでもしたのでしょうか。でも、それは他者の課題なのであまり深入りしないことにします。

アドラーはじめました

アドラー心理学ってご存じでしょうか。かの有名な「精神分析入門」でおなじみのフロイト、その弟子ユングと並んでヨーロッパでは3大巨頭の一人として知られるアルフレッド・アドラーという人が提唱した心理学(?)です。最近そのアドラー心理学について書かれた本がブームになり、なんだか人気になっているみたいです。アドラー心理学については、いろんな方が説明されているのでここでは詳しく書きませんが、いわゆる心理学(精神分析)というよりは哲学に近い思想ですね。アドラー本人も、これはソクラテスの哲学の延長にあると言っているぐらいなので。

遅ればせながら、そんなアドラー心理学に興味を持ち始めました。最初は動画サイトに解説動画が出ていたので、何となく眺めていたのですが、段々興味を持つようになり、ちょっと本気で勉強しようかと本を買いました。アドラー心理学の解説ではもっとも有名な「嫌われる勇気」という本です。

ところで自分の知り合いにちょっとややこしい人がいます。名前はNさんとしておきます。何かと自分の趣味をバカにしてきたり、ちょっと面倒なんですけど、今までの付き合いもあるし適度に距離を取るようにしてたんですが(アドラー的には仕事のタスク)。そのNさんに自分がアドラー心理学に興味を持ったという話をしたところ、例によってマウントを取ろうとし始めました。最初は、「なんだ、君は今頃そんなこと言ってるのか。遅れてるね。」なんておっしゃるので、さぞやお詳しいのかと思ったら、そうでもない。それを指摘すると、焦ったのか急にアドラーの引用を始めましたが、所詮はどこかからのコピペ。多少なりとも理解していれば、そんな中途半端な発言はしないはずなのですが。

そして、アドラーの教えの中には、自分と他者の課題を混合するなというのがあります。要するに、他人が自分のことを何か批判しても、それは客観的な基準による指摘ではなく、相手が自分を思い通りにしよう、服従させようという意図があるから、気にするな。簡単に言えば相手の挑発に乗るなということです(まだ勉強中なので、違ったらすみません)。Nさんがマウントを取ろうとするのですが、自分がその教えに従い軽くかわしていたら、マウントが取れないことで機能不全を起こしたのでしょうか。他の要因もあるかもしれませんが、突然SNSをブロックしてきたのです。

突然のことに驚きましたけど、まあ去る者は追わない主義なので、とりあえず様子見することにしました。その人は断捨離と言う言葉が大好きで、よく使ってました。君も断捨離してるかい?なんて聞かれたので、自分は人間関係を断捨離するんだと言ったら、君は面白い人だと言われたことがあります。まさか、それが現実になろうとはΣ(゚д゚;)

アドラー心理学については賛否両論ありますけど、対人関係のストレスを軽減する方法(ライフハック)として有効だと思われましたので、しばらくは勉強を進めようと思います。Nさんのこともちょっと気がかりですが。あのご気性だと友達少なそうだし。もしかしたら、アドラー心理学の劇薬(「嫌われる勇気」でもその言葉は出てきます)に当たってしまったのかも。そう考えると、Nさんがブロックしてきたのも自分が原因かもしれない。ただ、以前からおかしな兆候はあったので、アドラーは単なるトリガー(きっかけ)だったのではないでしょうか。遅かれ早かれこうなる宿命だったのでしょう。

心理学という名前が付いていますが(これも批評の対象ですが)、どちらかと言えば哲学、思索の類いです。また、トラウマ(心的外傷)など科学的に証明されていることを否定しているなどクセがありますので、比較的精神状態が健全な時に読むことをお勧めします。また、アドラー原理主義(いわゆる馬鹿アドラー)にはならないようにお願いします。アドラーは競争すること(競争を対人関係の軸にすること)を否定しています。それなのに、マウントを取ろうとするって、理解度の低さを公言しているようなものです。ちゃんと理解すれば、きっと人生の助けになるはず。そう信じて勉強を進めたいと思います。

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ]

価格:1,620円
(2019/6/15 01:39時点)
感想(478件)