マスターオブ静岡への道外伝~飯田線再訪ツアー~ feat.駅メモ!

0.はじめに

予算の都合でまずは近いところから、と思っているが。首都圏以外で近そうなのは静岡県になるだろうか。静岡県内の走破路線(もちろん駅メモ的にという意味である、ゲーム外なら走破済み)は、JR線伊豆急行(イベントも1度走破した)、伊豆箱根鉄道(駿豆線)岳南電車静岡鉄道遠州鉄道だったか。あ、飯田線がコンプできていない!途中の山間部(静岡県内)で電波が悪く、拾えない駅があったのだが、その当時はゲームを始めたばかりで便利なアイテムが使えることを知らず、そのままになっていたのであった。

なんてこった。よりによって、飯田線、しかも明らかにやばい雰囲気漂う静岡県エリア(浜松市天竜区)。ここ浜松市にする意味なくね?余談だが、天竜区役所の最寄り駅は天竜浜名湖鉄道の二俣本町駅である(それでも1.6kmほどある)。もう何だかよく分からない世界だ。それはともかく、ここをクリアしないとマスターオブ静岡の称号は手に入らない。また行くの?確かに飯田線は鉄ヲタにとっての聖地であるが、そう何度も行くところでもない。とは言え、放置することもできないので、再度走破することにした。

後から始めた駅奪取については、まったくの未制覇エリアなので、そういう意味では無駄ではないだろう。なお、あのJR東日本公式?アプリのトレすごについては、該当地域は取得済みのため、今回は無視する(相変わらず動作が不安定なんですけど)。そうそう、ケータイ国盗り合戦(以下、国盗り)も忘れないようにしないと。

1.プランニング

通常はそんなに考えることはないのだけれど、相手は何せあの飯田線。関東からの距離もさることながら、あの距離の長さ(全長195.7km)、駅数の多さ(実に93(両端含む))。なぜ、この距離でこんなにも駅が多いのか。飯田線の成り立ちは有名な話なのでここでは触れないが、かなりの難敵であることは言うまでもない。しかも、お手軽に特急で移動するほどの(金銭的な)余裕もないので、なるべく18きっぷを活用し、何とか日帰り可能なプランを考えた。

その結果、飯田線列車のスタート地点である中央本線岡谷までは普通列車を乗り継いで、帰りは豊橋から浜松までは在来線で移動できることがわかった。浜松からはさすがに新幹線(長距離ワープ)となる。当然、特急伊那路には乗らない!これでも、結構ギリギリである。次の日仕事がなければ余裕なんだけどな。

初めて乗ったときは、今は亡き上諏訪夜行(新宿発上諏訪行きの夜行普通列車)で移動し、途中佐久間レールパーク(中部天竜駅前)に立ち寄ったものだが、今そんな余裕はない。上諏訪夜行もなくなったし。

2.スタート(または回送)

中央線を西に向かって移動する。駅奪取の方はイエローライセンスを使用し、駅メモと連動させる。高尾で快速高尾行きを降りて、普通甲府行きに乗り換える。次の列車は甲府止まりであった。車両はもちろん長ナノの211系3000番台。最近はこれがスタンダードらしい。階段を上がって反対側(下り)ホームに降りる。だが、次に来た中央特快は同じホームに到着した。失敗したか。中央線というのも案外乗らないもので、がんばってチェックインするがまだ20回に達しない駅が多い。高尾でやっと20回だから推して知るべし。 続きを読む マスターオブ静岡への道外伝~飯田線再訪ツアー~ feat.駅メモ!

無観客競馬

新型コロナウイルス(whoが付けたなんとか言う名前は忘れた)が猛威を振るっています。たぶん。そんな中で、人が集まるイベントの自粛が進んでいます。競馬も例外ではなく、2回中山、1回阪神、1回中京の開催(ダビスタで言う3月)から無観客競馬で施行されることになりました。

自分は、去年の成績がまたも悲惨な結果に終わったので、暖かくなるまではゆっくり眺めていようと思ったのですが、まさかこんな事態になるとは。金杯から参加している人よりは、淋しさは薄いのかもしれませんけど。

無観客競馬と言えば、よく報じられているように戦時中の1944年の途中から能力検定競走として無観客の競馬が施行されたことがあります。ちなみに、その年の第7回菊花賞(当時は農林省賞典四歳馬競走)では、全馬が走路を誤認したため(当時の3000mコースは、1周目内回り、2周目外回りだったが、この競走については2周とも内回りであった)、競走不成立となったという競馬ヲタなら押さえておきたいトリビアもありました。

能力検定競走、すなわち観客を入れて勝馬投票券(以下、馬券と書きます)を発売するという通常のスタイルではなく、あくまで競走馬の能力を見るための競走という位置づけでレースが行われたわけですね。

さて、今回の無観客競馬については、日本の競馬史を中途半端にかじったせいなのか、お、今回は馬券の発売はないのか、と早とちりしたのですが、文明の進化というのは偉大なもので。現在では、電話投票、インターネット投票(即PAT、JRAダイレクト)というものがあり、なんと競馬場やウインズ(場外投票所)に行かなくても馬券が買えるのです!いや、今さら声高に叫ぶことではないですけど。

そうですね、今回の無観客競馬については、まとめると

  • ファンの喚声がないので、静かな空間が保たれる
  • 競馬場のゴミ(特にハズレ馬券、マークカード、新聞)が出ないのでとってもクリーン
  • 競馬場周辺の混雑、渋滞が解消される
  • 競馬場内の売店、食堂が大ピンチ(JRAが補償するでしょう)
  • 競馬場周辺の駐車場が大ピンチ?(JRAが補償するといいな)
  • 京成バスの新都心営業所が暇になる
  • ちばレインボーバスの書き入れ時がなくなる(京成がなんとかするでしょう)
  • 阪急大阪梅田~仁川の臨時急行が運転されない(かなC)
  • インターネット投票が一気に普及する?(実際申し込みは増えてるようです)

といった効果、影響が想定されます。この2週間程度が新型○国肺炎のピークだとか言われてますが(信憑性は薄い)、早く終息することを願います。まあ、自分は早ければ中山グランドジャンプあたりに復帰するので、それまでに通常開催になっていればよいです。即PATは登録済みなので、投票は可能ですけど。。。

JR東日本の株主優待券について問い合わせてみた

JR東日本の株主優待券が手元にあるわけですが(金券ショップではなく株主に対して進呈されるもの)、利用規程についてちょっと疑問が湧いてきました。優待券の券面には割引の対象として、運賃は当社営業路線内の普通片道乗車券と書いてあります。また、料金は当社営業路線内の片道の特急券、急行券、グリーン券、及び座席指定券とし、一列車に限ります、と書かれています。つまり、特急列車ならば特急券または自由席特急券、グリーン券、急行列車なら急行券、指定席券またはグリーン券、普通列車であれば指定席券またはグリーン券が対象となるという意味です。ただし、料金についてはグランクラス、個室、寝台列車(寝台車及び座席車)は対象外です。

説明は分かりやすくて特に問題ないように思われますが、そこでふと疑問に思うことが出てきたのです。鉄道の旅客営業規則においては、通過連絡運輸という制度があります。これはA社路線からB社路線を経由して、再びA社路線に入る場合、それぞれを初乗り運賃で処理するのではなく、A社の前後区間の距離(営業キロ)を合算した金額に、B社分の金額を加算したものを運賃として適用するというものです。

ご存じのように、JR線の列車が途中第3セクターの路線を経由することが多々あります。予土線の窪川~若井間(土佐くろしお鉄道)、飯山線の長野~豊野間(しなの鉄道)、名古屋~紀勢方面の四日市~津間(伊勢鉄道)などがそれに当たります。東日本管内にも途中に3セクの路線が挟まる場合がいくつかあります。これってどうなるの?他のきっぷでは記載があるけど、株主優待券の券面を見ても、JRのサイトを見てもそれに関する記載がありません。

でも通過連絡運輸は基本的なことだから、もしかしたら株主優待券でも適用されるかも。そう考えてお問い合わせセンターにお問い合わせしてみました。

☎プルルル、プルルル、はい、もしもし、菊水館でございます。あ、間違えた。
自分「株主優待券の扱いについてお尋ねしますが、」
コールセンター「はい、どうぞ」
自「片道切符が割引の対象になりますが、途中に第3セクターの路線が挟まった場合どうなりますか?」
コ「具体的な例をお願いします」(めんどくさー)
自「例えば、花輪線に乗って大館から盛岡に行く場合、好摩から盛岡まではIGRいわて銀河鉄道になりますよね?」
コ「そうですね」
自「その場合、盛岡方面までの切符は割引対象になりますか?」
コ「少々お待ちください」(保留音が流れる)
コ「お待たせ致しました。その場合、大館から盛岡までの切符は通しで発券できます」
自「(いや、通過連絡運輸のことを聞きたいんだけど)えーと、その場合、盛岡から新幹線で東京へ向かう場合、大館から好摩と盛岡から東京までの運賃は割引対象になりますか?」(通過連絡運輸って言葉を使いたかったけど、きっとおねえさんには分からんだろうな)
コ「少々お待ちください」(さらに保留音)
コ「お待たせ致しました。はい、その場合は大館から好摩までと盛岡から東京までの運賃は合算して割引対象になります」

というわけで、株主優待券でも通過連絡運輸は有効であるという結論になりました。ただし、普通切符でも通過連絡運輸の扱いがされている区間に限るとは思いますが。これで、もしみどりの窓口でもめたらまたコールセンターに抗議電話してやるぞ。でも、株主優待券にそういう記載がないのは、善良なる株主がそんなへんてこりんな要求をしないからだろうか。

とにかく、これでプランニングの幅が広がったのは確かです。ちなみに、通過連絡運輸の区間を調べてみると、結構対象区間が多いことに気付きました。例えば、盛岡~青森間のIGRいわて銀河鉄道+青い森鉄道など(北斗星もそうだったな)。三陸鉄道も通過運輸連絡の扱いがあるな。でも、1枚のきっぷに複数詰め込んだら、いろいろトラブルの元になりそうなので、IGRだけ入れてみようかと思います。さあ、旅行の計画を立てよう!

マスターオブ千葉への道 feat.駅メモ!

はじめに

関東の残りエリアは、群馬、栃木、そして千葉となったわけだが。群馬はわたらせ渓谷鐵道のあたり、栃木はそれに加えて東武日光線と野岩鉄道のあたり。千葉は、真ん中のいわゆる房総横断ルートが残っている。久留里線は18きっぷで行けるけど、こちらはそうはいかないので。そんなわけで今回は、千葉県内最後の区間房総横断ルートを走破することにした。補足しておくと、これも既に走破済みであるが、駅メモでは未訪問という意味である。とは言え、前に来たのはいつだったかな?

今回のコースとして、スタートは五井とした。別に深い意味はないけれど。ただ周知のように(?)小湊鐵道の列車は全てが終点の上総中野に行くわけではない。よって五井から大原へ抜ける(と言うよりは上総中野に到達する)プランを考える必要がある。そこから逆算して総武線快速の時間を調べると、なんと内房線直通の君津行きがあるではないか。五井まではこれで行けるな。

スタート(または回送)

総武線快速の君津行きに乗って、千葉方面へと移動する。通常なら千葉であの209系に乗り換えて館山、安房鴨川方面へ向かうのだが、今回は乗り換えなしで五井に到着できた。駅に到着すると、隣から懐かしいアイドリング音が聞こえてくる。相変わらずこの車両(キハ200)なんだな。他社みたいにレールバスを入れないのはポリシーゆえか。

何気なく改札を出る。う、高い(Suicaでまともに払うと1000円近くになる)。だが、外にはJRの窓口しかない。しまった、小湊の窓口は例によってJR改札内にあるのか。改札口で小湊に乗る旨伝えて入れてもらう。よく見ると、小湊鐵道のりばの手前にSuicaの簡易改札機がある。こっちだったか。

のりばへ向かう跨線橋の途中に小さな小屋があるので、そこで房総横断記念乗車券を買い求める。1730円ナリ。ん、運賃変更スタンプが押してある。地方私鉄でたまに見る料金改定の印である。大量にストックした常備券(硬券)で見ることはあるが。これも常備券と言えばそうなるかな。印発や自動券売機ではなく、予め印刷されたものを常備券と呼ぶなら(多分そうだろうけど)これも常備券になるのか。

小湊キハ200五井

房総横断記念乗車券 続きを読む マスターオブ千葉への道 feat.駅メモ!

僕が会社を辞めたわけ(3)

ようやく、IT業界というものに慣れてきて(一番立場の弱いネットワーク方面ですけど)、前の会社を業界特有の様々なストレスとあの頭のヘンな課長のせいでズタボロになって退職したあたりから、このお話は始まります。

会社を辞めてどうしようか、少し休んでから考えようと思っていたある日のこと、昔の職場(YRP方面)の人から電話がかかってきました。「今何してるの?」と聞かれ、正直に色々あって前の会社を辞めたことを話しました。すると、「暇なんだ?じゃあ、うちに来いよ」と言っていただきました。正直どうしようか迷ったのですが、先方が自分の仕事を評価してくれている、また仕事をして欲しいと言ってくれていることが嬉しくて、復帰することにしました。

今回はその人の所属会社に入る形で、元の職場に入ることとなりました。通常であれば、以前経験したように面倒な面接などがあるのですが、経験者ということで上位会社との形式的な面接を経て、晴れて慣れ親しんだ現場に帰ってくることができました。仕事は、以前していたものとは別のラインでしたが、知っている人も多くあまり抵抗なく入れました。

ただ、ちょっと引っかかったのが、「キミ本当に帰ってきてよかったのかい?」と上位会社の部長(現場にいないくらいエラい人)に言われたことです。なんでそんなことを言うんだろうか?前の会社では、自分の意思を無視して勝手に引き抜かれたんですけどね。と言うと、部長が(?_?)みたいな感じになったので、よくよく話を聞いてみると。。。例の課長(あの言葉は控えましょうか)が、僕くんが辞めたがっているから終了にしたいと言ってきたんだよ。だから帰ってくると聞いて、いやいや戻ってくるんじゃないかって心配していたんだよ。という内容のことを言われて愕然としました。あいつ、やっぱりゴミだったな。あ、言っちゃった(^_^;)

業務内容は今まで通り、ただなかなか検証環境がうまくできず(作業者の未熟なせいだと思われます)、終電近くまで作業したり徹夜することもありました。ですが、ここの会社は(深夜休日とかは関係なく)時間制でのみ給料を計算するシステムでしたので、働いた分は給料がもらえました。その点はよかったんでしょうか。

人間関係は概ね良好でしたが、ただ一部の若い連中が「オレの方が先輩だ(入社年だけの話ですよ)」と理解不能な先輩風を吹かせて、不愉快な言動を取ったことは忘れないと思います。そんなに技術もあるわけでもないのに、何を根拠に偉そうにしていたのか。そんな彼らも会社の給料が安いことを理由に去って行きました。

そんな自分に転機が訪れたのは、4年後のこと。折しもリーマンショックが世間を騒がせてから数年がたった時でした。今さらリーマンのせいにするなんて、なんて稚拙な経営なんだろうと思っていましたが、人事制度の見直しと称して、いろいろ給与面の改悪が発表されました。中でも一番は見なし残業(出た!)を25時間とし能力給に含めるというもの。じゃあ、その分能力給は増額するのか?しませんでした(*_*)それって実質の賃下げじゃないか!それに怒って大事な中間層が次々に辞めていきました。

自分もそれに不満でしたし、その時転職を検討し始めました。それに加えて、1年間で現場を5回ぐらいは変えられたこと、しかも進行中の案件から外されて別の案件に回されたこと、最後に所属したチームには同じ所属会社のメンバーがいましたが、彼から想定外の嫌がらせ(パワハラ)を受けたことが決定打になりました。それによって一層を検討するようになったわけですが、その年末に納会がありました。そこで自分を散々振り回した元請けの課長と会う機会があったのです。ここで、あっちこっち振り回して悪かったね、これに懲りずにこれからも頼むよ、ぐらいのお言葉はいただけるものと思っていました。むしろ、自分の出世のために他人を振り回しておいて、その程度のあいさつもできない人間なら即座に袂を分かつべきだとも思っていました。ところが、かけていただいた言葉は自分の想像の遥か斜め上を行くものでした。「こいつ、すぐ言い訳するんだよ」。何を言っているのか、即座に理解できませんでしたが、たぶんこの人の無茶ぶりを回避するために言った言葉をそういう風に解釈してるんだろうな、そう理解するように努めました。なお、謝罪はおろか労いの言葉も皆無でした。この瞬間、自分の腹は決まりました。

年が明けて、担当営業を呼びつけました。「会社を辞めることにしました」と伝えると、営業の反応は意外とあっさりしたものでした。ある程度は覚悟ができていたのかもしれません。ちょっと現場の方は想定外だったようで、少し慌てた様子でしたが。それよりもあのパワハラ野郎が最終日までしつこく絡んできたのには閉口しました。自分の楽しみを奪われるのがそんなにイヤだったのか。遊んでいたオモチャを取り上げられる子供のような抵抗ぶりには呆れるほかありませんでした。

さて、これからどうするか。会社を辞めるのは簡単だけど、次の仕事がないと生活が厳しくなります。これまた、幸いと言いますか、職場で半年ばかり一緒に仕事をしていた人が別の会社に入っており、その人から今ネットワークのエンジニアが足りないから来てくれないかというお話をかなり前からもらっていました。そんなわけで、彼の会社にお世話になることになったのですが。。。