本を読み進めてみて、このアドラー心理学というものがかなりクセがあるものだということを次第に実感し始めています。なるほど、万人受けするものではないけれど、それでも真理はある程度あるのかもしれません。
アドラー心理学のキーワードの1つとして共同体感覚というものがあります。英語ではSocial interest(社会的な関心)というらしいです。ここでいう共同体とは、いわゆる地域社会、さらには小さな単位として職場、学校、さらには家庭などのコミュニティという印象が強いですが、アドラーの考える共同体とはもっと大きなものです。分かりやすくいえば、この世に存在するもの全て、宇宙を指すらしいです。また、空間だけでなく時間的な広がりもあります。すなわち、過去から未来までを含んだ世界。つまり、時間的にも空間的も無限に広がった世界を共同体と呼ぶようです。この辺りでもう脱落しそうですけど。。。
アドラー心理学の出発点は自分と他者との課題の分離でした。他人の言うことを気にせず、自分の課題に取り組む。他者と比べるのではなく、理想の自分と比較することで成長する。そこからのゴールが共同体感覚だと言います。なるほど、分からん!共同体感覚とは共同体において自分が如何に貢献できるか、そして共同体の中に自分の安らげる場所を見つけるということらしいです。そのためには、他者を敵ではなく仲間だと見なすこと、その仲間に自分がどう貢献できるかを考えることが大事だと、アドラーは説いています。
ここで仲間に貢献するというのは、彼らに有用な行動を取って感謝されるということに止まらず、存在そのものを貢献とする。つまり、仲間(家族や友人関係)において自分が存在することで彼らに貢献する。よく分からないです。ただ、自分が病気になってベッドにくくりつけられる生活を送っていたとしても、周りの人は自分が生きている、無事でいることを喜んでくれるはず!そういうものが存在による貢献だそうです。かなり宗教色を増してきましたか?
それと、対人関係については横の関係を持つこと。縦の関係を持ってはいけないというのもアドラーの主張です。典型的な縦社会の現代社会において、何言ってんだコイツという気持ちもありますけど、上司と部下、先輩と後輩という縦の関係を意識すると、友人関係でも縦の関係を持ってしまう。つまり、あいつには勝ってるけど、こいつには負けてるな、とかAくんは頭がいいから言うことを聞こう、でもBくんはバカだから適当に無視しようとかそういう考えが、縦の関係を持つということらしいです。そして、縦の関係で人間関係を見てしまう人はあらゆる関係を縦の関係として見てしまう。そうではなく、全ての人を対等に見る(平等ではなく対等という概念はよく出てきます)ことによって全ての人を横の関係で扱う。それが、共同体感覚というものだそうです。
うーん、にわかに受け入れがたい、いや理解が難しい概念が登場しました。しかし、相手が上司であれ、社長であったとしても、「いや、オレはこの方がいいと思います。こうするべきだと思います」と主張する人は、横の関係を構築することができている人なんでしょう。心理学というより、1つの思想、自己啓発的なニオイすらしますね。
あ、余談ですけど、あのややこしいNさんがやたらと主張してきたことは、どうもSNSでアドラーとググった時に出てきた言葉を、何も考えずに貼り付けていたようです。しかも、これがアドラーの本質だ!などと豪語されていました。コピペするにも、元ネタがバレバレのことをするなんて。真面目に勉強している人に対して失礼だとは思わないんでしょうか。是が非でも自分を押さえつけてやろう、オレが(Nさんが)自分の上位に立つんだという執念は感じました。ただ、やり方があまりに浅薄だとバレやすいし、印象を悪くするだけではないかとも思いました。NさんがSNSをブロックするのをやめてもらわないと、こちらの主張は一切届かないので、どうすることもできませんけど。アドラー心理サロンのありがたい言葉をコピーしたって、一時の感銘は得られても本当に理解したことにならないのでは?いや、その前に感銘を受けでもしたのでしょうか。でも、それは他者の課題なのであまり深入りしないことにします。